先日「エメラルドの王国」というエントリーを書いたところ
いいね!が全くつかず「読んで鬱になった」「つらい」「なにあれ」
というご連絡を多数頂いた。ありがとうございます!

しかしあれは「こまめにメンテナンスすればいかなる王国も維持できる」
ということが言いたかったのであり、つまり「価値観が違うからといって
そっぽを向くのではなく、真正面から相手を想うこと、そしてメッセージを
伝え続ること」を諦めずに続けなくちゃいけないんだけど、忙しい現代人は
それを簡単に諦めすぎなんじゃないだろうかということが言いたかった。



現代の人って仕事も忙しいし、テレビもおもしろいし、
SNSのせいかなんなのか、
「たくさんの人と繋がってるから1人ぐらい失ってもいいや」
みたいな気持ちにすらなってくる。
さらに「こんな男は嫌」「こんな女は嫌」みたいな
人間をコンテンツとしてバサバサ斬るような風潮になると、
1人の人間として見ないで、
ある側面だけを見て「うわ、ないわ。もっといい人が世界にはいるって
インターネットで読んだし。facebookでたくさん異性の友達いるし」
みたいな感じであっさりと関係性を放棄してしまったりすることもある。
そうすると、本当に自分の要求に合う人間を探して未来永劫彷徨わなければならない。
自分ですら自分の意のままにならないのに、どうして他人が意のままになるだろう。
人間は「手がつけられないくらいひどい邦画」などと違って
変わることができる。人間はコンテンツではない。
面白いという麻薬に惹かれて面白さの奴隷になると、
その相手自身ではなくてエンターテインメント性に
惑わされてしまう。



この前は勢いでエメラルドの王国と書いたけど、
眼鏡を外すと実はその王国は砂で出来ている。
人間関係というのは砂浜で作る砂の城程度の強度である。
「愛は砂の城」とか演歌で歌われるくらい砂の城は壊れやすい。
しかも砂浜なんかに置いてあるから
砂は常に流動している。そんなところに置いておいたら壊れるのは当たり前だ。
しかし壊れることに絶望して何もしないのは愚者であり、
流動しないところに城を持って行くのはさらに愚かなこと。
なぜならその流動性こそがいのちをいのち
たらしめ、人間をひきつけるものだから。

砂の城は壊れやすいから最悪なんじゃなくて、
直すのが簡単だからむしろ最高。
だって砂は無料だし、たくさんある。
ちょっと自分の考え方を試してみて、
ダメだったらまたやってみればいい。
タダなんだし、減るもんじゃないし。

というわけで大事な人がいる人は小田原城のレゴを作るように
日々砂のお城のメンテナンスに勤しんでみてはいかがでしょうか。

と、ブリティッシュ・ライブラリーのフリー素材を使ってみる。