こんにちゎ、はじめまして。はぎわら と申します。
「ブログが流行っているから書きませんか」とのお誘いを僕もいただき、数年ぶりに140文字を飛び出してみようと思います。



ブログ再開の一回目、何を書こうか迷うのですが、個人的に気になっている最近のネットの出来事について書いてみようと思います。といっても、ぜんぜん技術的な内容ではありませんので、お気軽にどうぞ。


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突然の話ですが、僕は何年か前から民藝品が気になっています。民藝品というのは、温泉街のみやげもの屋や道の駅などで売られているあれらの茶碗なんかのことです。どこか愛嬌があるイラストの掛け軸だったり、ごつごつした陶器の器だったりしますが、それらを、「誰が、どう作った」とか、そういう風に、美術作品のように見ている人は少ないのではないでしょうか。

僕もそうだったのですが、ある時に柳宗悦の本を読んでから、見方が少しずつ変って、ジワジワと面白く思えるようになりました。柳宗悦氏についておおざっぱに言うと、彼は民藝品の、匿名的で誰が作ったのか分らない地元の「コミュニティーに根差した美」に価値を見出した学者で、それらを専門に扱う日本民藝館という美術館を建設し民藝運動を起した第一人者です。
プロダクトデザイナーとして高名な、柳宗理の父親というと「あぁ」とわかる方もいるかも。



柳宗悦 著 「民藝とは何か



ちなみに柳の唱える民藝品の特性は以下のようなもの。。。

1、 実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
2、 無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。
3、 複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
4、 廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
5、 労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
6、 地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
7、 分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
8、 伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
9、 他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。

※日本民藝協会のウェブサイトより



さて上のような柳氏の定義を復唱していると、ある共通点に気がつきます。民藝運動から約90年が経過した今、僕たちの身近にあって、コミュニティー ( 共同体 ) に属していながら、誰がつくったかわからない作品といえば、そう、このインターネット上にもあるのではないでしょうか。

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古くはお絵描き掲示板から生まれたイラスト、GIFアニメーション、MIDI音源などから、最近ではWikipediaの記事、はてなのアノニマスダイアリー、Twitterの日本語ハッシュタグなどなど。ウェブ上で不特定多数の人たちから生まれる作品のなかには、プロ顔負けのセンスの光るものも少なくありません。これら無名なネット上の作品には、柳氏の民藝の定義に共通する部分がかなりあるように思えます。そして、実はこれらのネットから生れた「ウェブ民藝品」とも呼べる匿名で無名な作品たちを、アーカイブしたり、カテゴリーにまとめていく運動は、すでにインターネット上でも起こり始めているのです。

代表的な2つの事例を紹介すると、ネットアーティストのオリア・リアリナによる、「工事中のページを意味するGIFバナー」や、「研究者のウェブサイト特有のレイアウト」などに見られる“独自”に進化したウェブ表現手法をまとめあげた「A Vernacular Web 」シリーズ ( 1, 2, 3 ) と、ライダー・リップスらによる、閉鎖された米 Giocitiesに残った大量のイラスト・音源などを発掘する「Internet Archaeology 」などのプロジェクトがあります。


オリア・リアリナの著作「DIGITAL FORKLORE」、A Vernacular Webなどについて書かれている。


ライダー・リップスらによる、MIDIのコンピレーションアルバム「NOW THAT’S WHAT I CALL MIDI」。米Geocitiesの閉鎖に共ない、消えてしまいそうなところを救い出されたMIDI音源達のなかから、よりすぐりのものを、500枚限定でレコードにプレスして永久保存版とするプロジェクト。

もっとも最近では、TumblrやTogetter、Naver まとめなどサービスの広がりによって、匿名作品を、匿名の人たちによってまとめるような、より抽象的な方法も実現できるようになりました。「まとめ方」にも新しい可能性が見えてきているようにも感じますが、とにかく、これら匿名作品 ( = ウェブ民藝 ) の世界はどんどん深まってきているように思います。

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そういえば鎌倉にある神奈川県立近代美術館で
シャルロット・ペリアン展がはじまったようで、これも民藝つながりの面白そうな展示です。
シャルロットはあのコルビジェの弟子で、来日時には、先述の柳宗悦や民藝運動を代表する作家である河井寬次郎などとも交流があった民藝派 (?) のプロダクトデザイナーです。


柳宗悦の民藝運動や、シャルロット・ペリアンの仕事を、今のインターネットを通した目であらためて見てみると、いままで持っていた印象とは、また違って見えてくるかもしれません。





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と、書いてみたものの、なんだか、慣れていないのもあって書きかたつかめず、ウェブ上の匿名作品が、民藝ともトマソンとも言えるような、定義の曖昧なエントリーになってしまいました…。今後はもっとコンパクトに少しずつ掘って書いてみようと思います。



ちなみに民藝運動とネット文化といった話では、批評週間 モダニズムのナード・コア( 46ページ )に、さやわか氏の「ギークはいかにして現代美術へ姿を現すか」というテキストがあります。そこでは東浩紀氏の言葉を引いて、カオスラウンジと民藝運動のナショナリズムと諧謔性の類似を指摘していました。今回の内容とは少し角度が違いますが、あわせて紹介します。

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