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最近、ふと思い立って1年くらい放置していた自作の地図と写真を一緒に1つの画像にするカメラアプリ「where.camera」をリニューアルした。
もともと写真を撮って保存するだけだったところに、フィルタとかカメラロール読み込みだったりとかいろいろ機能を追加した。せっかくなのでちゃんとPRして使ってもらわなければと思うので、このカメラアプリの地図と写真をいっしょくたにして画像に保存できる、という特長を利用して、何か記事を書こうと思って書いているのがこの記事だ。

ゆえに、この記事はまあまあ一応PR記事だ。といいつつ、今からここに書く内容はなんというかすごい濃いというか、興味無い人にとっては全く興味がない内容のような気もするので、ちゃんとPRになるのかどうかよくわからない。あとたぶん長くなる。


要するにこのアプリは、「この場所でこんなもの見たよ!」みたいな感じで場所と写真を一緒に共有するためのものなので、旅行の写真とか名所案内とかに向いている。
あとたぶん、待ち合わせとかにも向いている。

たとえば、フロリダのディズニーランド行ったよー、なんていうときにこんなふうに保存できる

たとえば、フロリダのディズニーランド行ったよー、なんていうときにこんなふうに保存できる



のでまあ、私が住んでいるニューヨークの名所案内をしたりするのが良いのだろうが、3年半も住んでいるのにミュージカルにすら行ったことないし、東京都民がそんなに東京タワーに行ったりしないのと同様に、エンパイアステートビルはふもとのコリアンタウンにめしを食いに行くときとかに素通りするくらいだ。
と同時に3年半も住んでいるので、それなりにハードコアな場所も知っている。

じゃあハードコアな場所って例えばどこだろうか、と考えたときに真っ先に思い浮かぶのは、実は会社のすぐ近くにある場所だ。
知っているといっても、実は私はまだ行ったことがなかった。
その場所の名前を、「チャイナタウン・トンネル」という。

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PARTY NYオフィス。こんなふうにいろんなフィルタをかけることもできます



前回のブログでも書いたことだが、うちの会社(PARTY NY・最近ロゴとウェブサイトをリニューアルしました)のオフィスはニューヨークのチャイナタウンのど真ん中にある。
開業以来、少しずつ大きなところに引っ越して、いまのオフィスは4件目となるが、この前のオフィスもチャイナタウンだったので、チャイナタウン歴も長くなってきた。

何でチャイナタウンが良いのかというと、ひとえに家賃が安いからだ。ご存知の方も多いかと思うのだが、ニューヨークという街は東京に比べるとありえないレベルで家賃が高い街(体感値で言うと東京の2.5倍くらい)なので、うちのような零細企業はそれなりに広いスペースが欲しい場合はなるべく家賃が安い場所を選ぶしかないのだ。

チャイナタウンの物件の家賃が安いのにはそれなりに理由がある。

チャイナタウンは、ニューヨークのマンハッタン島にあって、わりと陸の孤島というか、外部と隔絶されている場所だ。
別に壁があるわけではないが、チャイナタウンはニューヨークというより中国なので、まず英語が通じない。基本中国語だ。
生活している人も働いている人もお店も全部中国の方々だし中国のお店なので、他の地域には普通にあるアメリカのチェーン店(WalgreenとかCVSとかのドラッグストアや食い物屋)みたいなものはあまり存在しないし、銀行なんかは同じチェース銀行でも漢字で「大通銀行」になっている。ニューヨークというよりは、中国そのものなのだ。

しかも、そういう状況と関係あるのか無関係なのか、チャイナタウンの中心部は地下鉄が素通りしている。マンハッタンには地下鉄が張り巡らされているので、最寄りの駅が徒歩10分、みたいな場所はそんなに多くないのだが、チャイナタウンは、周囲に駅はあるものの、中心部には駅がない(そしてうちのオフィスは中心部にあるので結構不便だ)。

チャイナタウンの中心部であるチャタム・スクエア(うちのオフィスの目の前)に新しい地下鉄が通る計画が存在するらしいが、ネットで調べている限り、私が生きている間にはできなさそうである。
観光地である横浜の中華街とかとは趣が違って、ニューヨークの中華街は、なんというか、なんでもあり感が漂う本格的な中国の街であるような気がする。ちょっと観光気分でやってくると「あれ??」みたいな印象を受けるだろうし、まあ治安もあんまり良くない。

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ドイヤーズ・ストリートの曲がり角と航空写真



そんなチャイナタウンの心臓部(つまり、オフィスの近所)にあって、最近妙にいい感じのお店が立て続けにできている街角がある。なんというか、そのへんだけチャイナタウンの中で一周回ってニューヨークっぽくすらある感じになりつつある。
その通りは、基本的に碁盤の目状に設計されているまっすぐな道ばっかりのマンハッタンの中にあって、突然1人だけ途中で直角気味にカーブしているという珍しい道だ。古地図を見てみると、少なくとも1850年くらいにはこういう道だったらしい。全長は60mくらい。道というよりはなんというか、「横丁」みたいな感じだ。
この横丁は、ドイヤーズ・ストリートという名前だ。

通りの入口に最寄りの郵便局があるので、私もちょくちょく用があるし、最近できたカフェで打ち合わせをしたり、来客時に最近ここにできたレストランに食事にお連れしたりもする。特徴的ではあるが、まあ普通の小路であり、私にとってはいつも通る慣れ親しんだ通りだ。

「チャイナタウン・トンネル」は文字通りトンネルだ。こんな町中にトンネル、というのがそもそもの違和感だが、何はともあれ「チャイナタウン・トンネル」の入口は、このドイヤーズ・ストリートの直角カーブの頂点にある。そしてこのトンネルがこの場所にあるのには、ちゃんとした理由がある。それについてはもう少しもったいぶりつつ、このドイヤーズ・ストリートの「またの名」から話を進めていきたいと思う。
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1807年の古地図。ドイヤーズ・ストリートは、画像真ん中の直角に曲がっている通り。Wikipedia Commonsより。


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曲がり角にあるNom War Tea Parlor(南華茶室)は、1920年に開店したニューヨークで初めての飲茶店。ふつうにおいしいです(https://nomwah.com



このたかだか60mの路地は、実は「ニューヨークでNo1」の、とある、とんでもない記録を持っている。それは、実は「ニューヨークの歴史上、最も多くの人が殺された通り」というやばすぎる記録だ。
私も、このへんの歴史を調べるまで知らなかったのだが、その不名誉な歴史ゆえにこのドイヤーズ・ストリートは、またの名を”Bloody Angle”=「血塗られた曲がり角」という。

どうしてそんなことになってしまったのか、それを知るためには、そもそも中国系の移民がどのようにニューヨークに定着したのか、というところから話を始める必要がある。

清朝末期、19世紀の真ん中あたり、ちょうど日本の明治維新のちょっと前、中国ではアヘン戦争があったくらいの時期から、多くの中国人がアメリカに渡航するようになった。カリフォルニアのゴールドラッシュに向かって太平洋を渡ってきた人たちや、苦力として大陸横断鉄道の建設現場で奴隷的労働をさせられたり、この時期はまだ中国移民の中心地はあくまで西海岸だった。
有名なサンフランシスコのチャイナタウンもこの時期に形成されている。

そんなアメリカの中国系移民たちの上に、1882年、とんでもない災厄が降りかかる。それが「中国人排斥法」だ。この時代になると、中国系の激安労働力が全体の賃金水準を下げてしまうという理由で他の移民労働者から嫌われるようになった。
結果、西海岸を中心に社会的な差別が行われるようになって、中国人の新規入国禁止、アメリカ内にいる中国系の人々も、一度出国したら二度とアメリカに入れない、という非常にえぐい法律なのだが、実は2017年の今日、トランプ政権が中東系の人たちにだいたい同じようなことをやろうとしたのは記憶に新しい。

同じようなことが中国人に対して行われたと理解すればいい。
トランプ政権はいったんは失敗しているが、この中国人排斥法は、アメリカが、中国と戦争している日本と戦争をして、中国と「敵の敵は味方」状態になる1943年まで61年間にわたり続く。アメリカは、昔からそういうことをやってきた国なのだ。

この中国人排斥法は2つの流れを生んだらしい。アメリカを諦めて中国に帰る人たちと、アメリカに残る決心をして、比較的反中国人感情が少ない東海岸に移る人たち。
そして後者の人々が集まり始めたのが、ニューヨークであり、いまのチャイナタウンがある地域だ。その中には、西海岸で一山当てたような人もいたので、土地や建物の購入も行い、チャイナタウンは徐々に範囲を広げていった。

中国人排斥法の影響で、当時のチャイナタウンには1つの特異な状況があった。それは、男ばっかり状態であるということだ。
当時の移民中国人たちの多くは、本国に家族を置いて、アメリカで一山当ててやろうと思ってやってきた人たちだ。女性の渡航者はそもそも少なかった上に、中国人排斥法で中国人が新しくやってくることはできないのだから、必然的に男ばっかりになってしまう。違法に人身売買で中国から「密輸」されてきた女性もいたらしいが、多くの場合売春を強要される方々だった。

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ニューヨーク最初の阿片窟があった街角。いまはお土産屋さんになっている。



家族と離れ離れになった寂しい男たちが集まってやることといえば、クスリとギャンブルだ。今よりはもっと範囲が狭く、恐らく半径200m程度の円に収まるくらいの広さだった小さいチャイナタウンには、賭場と阿片窟が違法にも関わらず乱立したらしい。
阿片窟とは、アヘン中毒な人たちがベッドでゴロゴロしながらアヘン(ヘロインの原料)を吸引してほわーんとなって起き上がれなくなってしまっているようなお店のことだ。
右の場所が、ニューヨークの最初の阿片窟ができた場所、の現在。筆者の会社から徒歩2分だ。

ちなみにこの時代のチャイナタウンの賭場(違法カジノ)で行われていた主なゲームは、「ファンタン(番摊)」というゲームらしい。今でもマカオにはテーブルが存在するらしいが、大量の小さいつぶつぶをコップで覆ってそのコップの中に入っているつぶつぶの数を4で割った余りを当てる、というすごい変なゲームだ。
かなりまどろっこしくて変わったゲームなので、是非動画を見て欲しい。1:27あたりからの展開が予想外でなかなか熱い。



とにかく、当時のチャイナタウンの男たち(昼間はマンハッタンで洗濯屋さんに従事している人が多かったらしい。この影響で、ニューヨークには中国系の洗濯屋さんがわりと多い)は、毎晩、このつぶつぶ集めゲームに稼いだ金を賭け、アヘンを
吸引してゴロゴロする、みたいな毎日を送っていたのだ。

という状況だったので、賭場と阿片窟の経営者たちは非常に儲かり、チャイナタウンを取り仕切るようになった。
その代表的な人物であるトム・リーはその権力と財力で「安良堂」(=On Leong Tong)という組織をつくる。これは会員が何か困ったことがあったときに法的手続きの補助をしたり、人が亡くなった時にお葬式を出したり、つまり中国人排斥法下で迫害された中国移民たちの互助組織として始まったが、実質ギャング団だった。

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安良堂の事務所。わりとわかりやすく、目立つ形状をしている


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協勝堂の事務所。安良堂の事務所から徒歩2分くらい


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赤く線を引いているのがドイヤーズ・ストリート。同じ縮尺で渋谷の地図にはめると、センター街の入口のツタヤからロフトに至る道がちょうどぴったりくる。つまり、この記事に書いていることは、すごく小さい地域の話である


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最近できたおしゃれ中華レストラン「CHINESE TUXEDO」は「チャイニーズ・シアターの虐殺」があった場所。酢豚的なものが非常においしいが、高い




そしてこの安良堂の本部は、現存する。ニューヨーク民ならイメージがつくかと思うが、カナル・ストリートからモット・ストリートへの入口のパン屋の上、バサノヴァラーメンの向かいだ。モット・ストリートを縄張りにしていた。

その安良堂と対立するサンフランシスコから拡大してきた同様な互助組織=ギャング団が「協勝堂」(=Hip Sing Tong)だ。モット・ストリートと交差するペル・ストリートが彼らの縄張りだが、協勝堂の本部もペル・ストリートに思いっきり現存している。小籠包で有名なJoe’s Shanghaiの隣だ。

この安良堂と協勝堂はニューヨーク・チャイナタウンの草創期からずっと対立していて、お互いの構成員がお互いの賭場を警察に告発したりしては報復でボコボコにされたりとか、そういうことが常態化していた。
たとえば東京の地理感覚で言うと渋谷のセンター街のギャングとBunkamura通りのギャングが喧嘩しているくらいの距離感だ。
徒歩1〜2分でお互いの縄張りに入ることができる。

そこで例の「血塗られた曲がり角」、ドイヤーズ・ストリートだ。
ニューヨークのチャイナタウンで最初の飲茶店である「南華茶店」が今でも営業を続けるこの路地は、安良堂の縄張りであるモット・ストリートと協勝堂の縄張りであるペル・ストリートに囲まれた場所にある。
つまり、ドイヤーズ・ストリートは、安良堂と協勝堂の「国境地帯」だったのだ。

「国境」であるがゆえに最初は緩衝地帯・不戦地帯とされ、中国の見世物を演じるチャイニーズ・シアターが存在していた。
しかし、「国境」であるということは同時に戦場にもなってしまいうるということで、結局すぐにドイヤーズ・ストリートは戦場になってしまった。
1905年には、このチャイニーズ・シアターで銃撃戦が行われ、4人が亡くなった、「チャイニーズ・シアターの虐殺」という事件が起きた。
このチャイニーズ・シアターの跡地には試験管や実験器具でカクテルを出すおもしろバーや、チャイナタウンっぽくない、洗練された高級創作中華レストラン「CHINESE TUXEDO」ができている。

それ以降、安良堂と協勝堂の血を血で洗う抗争が激化した。この抗争は「Tong War」(堂戦争)と呼ばれていて、これをテーマにした本なんかも出ているので結構読んだ(というか、今ここに書いていることはそこそこそのへんの文献の受け売りだ)。日本語版は無さそう。
Tong Wars: The Untold Story of Vice, Money, and Murder in New York’s Chinatown

ドイヤーズ・ストリートはこの抗争の中心地になった。
この頃のチャイナタウン・ギャングの暗殺者は「Hatchet Man」(=ハチェットマン)と呼ばれていた。これは「鉈男」という意味だが、要するに中華料理で使う鉈に近い中華包丁みたいなものを武器にして敵の頭をかち割って殺す、みたいなやり方をする人たちだったらしく、そういう呼ばれ方になったらしい。
ドイヤーズ・ストリートを発祥とした「Hatchet Man」という言葉は、英語の辞書で引くと「暗殺者」という意味が出てくるほど、定着している。

このハチェットマンが、敵がドイヤーズ・ストリートの角を曲がってくるのを道の入口(今のチェース銀行があるらへん。実は、前回のブログで筆者がFOX NEWSにからまれたのがこの場所)で待ち受ける。何も知らない敵が直角の曲がり角に現れるとハチェットマンたちは走り出して敵を襲う。そして、襲った後の脱出経路として使われていたのが、ドイヤーズ・ストリートの直角カーブの頂点に入口がある、チャイナタウン・トンネルだ。



ハチェットマンが使っていた中華包丁的な鉈。警察が押収したもの

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チャイナタウン・トンネルの出口がある永發大廈。一見普通のオフィスビル



もともと隠れ賭博場やドラッグなどの密輸、警察からの逃走経路として掘られたこのトンネルは、ドイヤーズ・ストリートの出口からちょっとだけ離れたチャタム・スクエア沿いのWing Fat Mantion(永發大廈)という建物の地下につながっているという。そしてこの、永發大廈は実はうちの会社が以前入っていた建物の隣の建物である。

このトンネルは、現存している。ニューヨークの人々もそんなに知っているわけではないが、怪しいお店が並ぶショッピングモール的なものになっているということを聞いていた。そして、その地下街の人々が、外部の人間をかなり嫌っているということも何かで読んで知っていた。
相当にハードコアな場所である。ものすごく興味がある。しかしそもそも治安がそれなりに悪いチャイナタウンの中ではあるので、結構怖い。

しかし、新しくつくったカメラアプリでチャイナタウン・トンネルを紹介したい。
というわけで、弊社の中国人エンジニアであるインジーに「一緒にトンネルに行ってくれ」とお願いしてみた。彼はトンネルのことを元々知らなかったので、「アドベンチャーや!」などと盛り上がり、最終的になぜか、川村含め社員ほぼ全員でトンネルに挑むことになってしまった。

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チャイナタウン・トンネル。ハチェットマンたちがここを使って敵から逃げた



永發大廈の中に入り、地下に続く階段を下がると、中はこんな感じになっていた。ついにやってきた。これがチャイナタウン・トンネルだ。

漢方薬のにおいが立ち込めている。ちなみにこれは、全く関係ないが、日本のサウナ好きの聖地である「サウナしきじ」の薬草サウナのにおいと全く同じだ。
漢方薬局や、マッサージ店、風水のお店なんかが立ち並んでいる。奥に進む。しかしシャッターが閉まっていて行き止まりになっていて、ドイヤーズ・ストリート側には出ることができなかった。
というわけで、そんなに特別なこともない場末の地下街だった。
がっかりムードでオフィスに戻る社員たちだったが、それでも私は、「ここを通ってハチェットマンたちが逃げたんだなあ」とか「ここで中国移民たちが変なつぶつぶ集めゲームに興じていたんだなあ」なんて思って感慨に耽った。

後で調べてみると、前述の、最近できたおしゃれ中華レストラン「CHINESE TUXEDO」の地下部分が元々トンネルだったスペースを改装して利用しているらしく、そのせいでトンネルが途中で行き止まりになってしまっていたらしい。
そこの地下でめしを食ったことがあったので、実は既に半分トンネルに入っていたことがあったことになる。
よく会社の飲み会で使っていた知る人ぞ知るチャイナタウンのメキシコ料理店「PULQUERIA」も元々トンネルだったスペースを一部利用しているし、要するにチャイナタウン・トンネルも、ドイヤーズ・ストリートのおしゃれ化の波の中で形を変えつつあるのだ。

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今回登場した場所の全体地図。渋谷でいうと、左から右までで道玄坂下のユニクロから246のセルリアンタワーあたり。狭い地域


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チャイナタウン・トンネル内でのセルフィー



ともあれ、このトンネルは、中国系移民たちが中国人排斥法という迫害の中で掘った、戦いの痕跡だったりする。
アメリカは移民の国だが、ニューヨークはその中でも特に、移民の街だ。むしろ移民ばっかりだ。だからこういうような痕跡がちょこちょこ存在する。

私も移民で、この国・街ではマイノリティーということになるが、なんというか、マイノリティーなりの戦い方とか楽しみ方とか、そういうものは間違いなく存在していて、そういうものに触れるたびにはっとさせられたり、ニヤッとさせられたりする。

最近つとに調査にはまっていることを宣伝にかこつけて好きなだけ書くことができてしまったので割と気がすんでしまった部分もあるし、そもそも内容がこんなんなので目的に即しているか不明だが、そういえばこの記事は自分でつくったアプリのPR記事だ。

すべての出来事はどこかの場所で起こったことで、座標を持っているものだ。ニューヨークに限らず、外を歩いているといろいろな出来事の痕跡を見つけることがある。「ここでこんなもの見つけたよ!」なんていうとき、是非、この記事にちょこちょこあるように「where.camera」を使って、シェアをして欲しい。
要望等はAppStoreのレビュー欄にでも書いて頂ければちゃんとやるので、どしどし書いて頂ければ幸甚である。

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