40

40歳になってしまった。
1年という単位は、太陽とか地球とかの天体運動がたまたま決めていることで、40年も然りだし、10進法だってよくよく考えると結構適当な概念な気もする(実際問題、私たちは10数えたら桁が増えることに慣れてるだけでしかない)ので、これを節目と捉えるのは自分以外の何かの都合のような気がしてならないのだけど、他の何かと比較するには便利な指標だ。

普通に考えると人生半分以上は経過したといえる。運が良ければ人生の半分程度生きたことになるのだろうし、運が悪ければこの文章を書いた後に突然死してもおかしくはない。
40年どうにか生き残ったことだけは間違いない。40前に死んだ人よりは長生きしたし、これでやっと、40年生きるとはどういうことなのかを体験できる。



ところで、私は何のために生きてるんだろう? 今これを書いている私は、それなりに複雑な状況の中にある。
究極の選択を前にして、途方に暮れていると言ってもいい。
私はニューヨークで暮らし、仕事をしている。どこにも書いたことがないし、メディアっぽいものでは大層な理由をつけてきたのだけど、私がニューヨークに越してきたのは、実は自分の会社であるPARTYを離脱しようとして、それが叶わなかったからだ。
経営者っていうのは、有利な部分もあり不利な部分もあるが、基本的には会社で働いてくれている人に奉仕する存在だと私は思っている。

仕事なんていうものは、基本的に暇つぶしだ。幸運なことに私は先進国に生まれたし、適当なバイトでもやって、部屋に引きこもってWikipediaを読み続けていたって死ぬまでの時間を潰すことを許されている。先進国では、よほどのことがないと死なない。
じゃあなんで必要以上に一生懸命働いたりするのかというと、これはもうほとんど生理的な問題だ。人の一生は有限で、有限だからもったいなくて、ゆえにジタバタ頑張って、承認されて快感を得ないと損な気がして、なんか気持ち悪くて働く。

私たちの多くが一生懸命働いている理由なんて、その程度のものだ。「自己実現」ってなんなのかよくわからないけど、要は、「なりたいものになる」「やりたいことをやる」とかそういうことだろう。会社という組織・互助団体は、そこにいる各々の自己実現を促進するための便利な装置だ。したがって、その胴元である経営者は、そこに奉仕するのが重要かつ面倒な役割だ。私たち経営者は、カジノで言ったらディーラーなのだ。ディスコで言ったらDJなのだ。なるべく、みんながやりたいこと、実現したいことを実現する触媒になる。チャンスを持ってくる。それが会社の義務だ。面倒なことこの上ない。絶対に部屋にこもってずっとWikipedia読んでた方が楽しい。

ただ、経営者に許された唯一かつ究極のカードがある。それは、「働きたくない人とは働かなくていい」ということだ。これがあるから、「自己実現」とかより少し大きなスケールで何かを実現できるし、時として、文化のようなものもつくれる。恐らくそれが経営者に面倒を厭わせない「麻薬」なのだろう。

prty

細かいことは割愛するけど、当時のPARTYには、「こいつとだけは絶対に一緒に働きたくない」という従業員がいた。なにぶん、表面的な見た目が派手な会社だから、「PARTYに入社する」ということが目的になってしまうことがある。今をときめくおしゃれなクリエイティブ・ラボPARTYで、代官山の蔦屋の隣で働く、それで人生上がり。クソ喰らえだ。

つくることへのリスペクトも何もない。企画と制作の伝書鳩、メールを転送することすら満足にやらない、する必要がない。代官山のおしゃれなクリエイティブ・ラボで働いてさえいりゃ無問題だ。ヒルサイドパントリー上等だ。

何が悲しくてそんな奴のために奉仕しなきゃならないのか。それこそ部屋にこもってWikipedia読んでた方がマシだろう。どこの寂聴がそこまで献身的に代官山で自慰的に働くくだらないおしゃれOLに奉仕しなきゃいけないのか。

というわけで、その他いろいろなきっかけがあって、「こいつを辞めさせない限り、私は経営から下りる」と他のパートナーに伝えた。結果、ひどく省略すると、却下された。あまり他のパートナーのことを悪く言いたくはないので省略するが、却下された。

izumo

完全にやる気を失った。しばらく仕事を放棄し、自宅でWikipediaを読んだり、電子工作の練習をし続けた(この時期の自暴自棄な電子工作への逃避は、完全にその後の仕事に役立った)。毎年、年初に会社で伊勢神宮に行くのがPARTYの恒例行事なのだが、「自分は違う神様と仲良くする」などと言って仕事をさぼって出雲大社まで行ったりさえした(写真はWikipediaより)。

PARTYからの離脱が最も望ましい形だったけど、それは叶わなかった。それでも、自己実現のチャンスを持ってこないとバチが当たるくらいPARTYにかけてくれている人だっている。名前だけでも私が消えるわけにはいかなかった。

gggの「そこにいない展」を最後の仕事にして、私はたまたまオフィス立ち上げの話があったニューヨークに「避難」した。もう一秒たりとも、代官山で働きたくなかった。逃げて、日本ではできなかったことをやることにした。

別にニューヨークという街に大して期待はしてなかったし、東京とそんなに違うとも思ってなかった。本当はウルトラクイズの決勝まで残って行く筈だった場所なので、少しばかり不本意ですらあった。

私は、逃げてきただけなのだ。

vv

しかしこれが大当たりだった。ニューヨークは、はっきり言って最高の街だ。

東京は広いようで、価値観で言うとものすごく狭い街だ。広告クリエイティブ業界で言ったら、成功の定義なんて、どんだけクリエイターとしてもてはやされて、カンヌでトロフィーもらって、審査員やって、テレビでコメンテーターやって、くらいな物差しでしかなくて、有限な「有名クリエイター枠」をうまいこと取り合うゲームでしかない。私みたいな民放向きではないハゲには不利なゲームだし、どう考えてもそれは、私の土俵ではない。頑張って愚直に何かつくってたらいつのまにか、そういうゲームに巻き込まれていた。で、そこでうまいことやってもエンブレム問題でつぶされる、あるいはそういうのを怖れて戦うことを止める。それが日本であり、東京だ。

ニューヨークは物好きの街だ。例えば、ジャズのようなマイナー音楽の専門のライブハウスが腐るほどあり、たいがいどこも一杯になっている。みんなはレディー・ガガを聴いてても自分はジャズを聴く、という人が堂々と趣味を享受できる空気がある。

ニッチなもの、ニッチなアプローチであっても、愛してくれる人が必ずいる。東京では、それを「オタク」という差別的な言葉で括って、線を引く。彼岸の存在に追いやってしまう。

昨年秋、ニューヨークで行われた「インターネットヤミ市」に出店した。テントを張って、その内側に、地球の反対側の日本で眠っているうちの父の姿をライブ配信し、入場料を1ドルとるということをやった。誰がそんなよくわからないものに興味を持つのかと思ったが、結果100人以上がテントに入り、大きなメディアで記事にすらなった。物好きが多いのだ。別にメジャーになる必要がなくて、ニューヨークでは、メジャーにならなくても楽しいし、構ってもらえる。

ともあれ私は、ニューヨークにおいては無名過ぎるほどに無名だったし、言葉も通じなかったが、愚直に何かつくってるうちに、愚直に何かつくってることを褒めてくれる人が現れて、チャンスをくれるようになった。「カンヌで賞をとりまくった有名な清水」という結果へのミーハーな興味ではなく、「きっちりものをつくる信頼できる職人である清水」という、自分の腕への評価を持ってもらえるのが嬉しかった。

ここでは、コメンテーターを目指さなくていい。一生懸命有名になる必要などない。カンヌでロクに関わってもいない作品のトロフィーを奪ってレッドカーペットで業界誌のインタビューを必死で受けるようなセコくてダサい奴になる必要はない。偽広告つくって嘘まみれのケーススタディビデオをつくって有名無実な賞をもらって自慢するしか能がないような雑魚と勝負する必要などない。ちゃんと何かつくっていればいい。

それが許されるニューヨークは、最高だ。本当にここに来て良かった。

40g

40になった。妻と息子が2人いる。特に妻は、ニューヨークの生活になじめず、東京に帰りたがっている。それは仕方のないことだ。細かい事情はまた別の機会に書くのかもしれないが、ニューヨークは、子育てをする上では最悪の街だ。

私はもう、ニューヨークを出て、東京に戻って頑張るのは結構辛いような気がしている。
それをするくらいなら部屋にこもってWikipediaを読んでいた方がマシだ。

情熱大陸かプロフェッショナルにでも上陸して有名クリエイターとしてそれっぽいこと言って、はいその30分間があなたの人生のピークでしたね、とか、かったるくてやってられない(実際問題、詐欺師みたいな自称クリエイターがNHKで母校でクリエイティブな授業を繰り広げる程度には、ああいう番組の純度は低い)。
ニューヨークに単身赴任するか、東京でチリ紙交換でもやって家族とWikipedia生活を送るか、究極の選択だ。

私は何のために生きてるんだろう。家族と離れてまで実現したい未来ってなんだろう? 家族と幸せに暮らしてればそれで良くないか? 仕事なんて暇つぶしって、さっき書かなかったっけ?
よくわからないし、明日死ぬかもしれないから結論出ないかもしれないけど、とにかくそういう混沌の中で、私の40代が始まった。

風邪を引いている。鼻が詰まっていて、少し酒を飲んだら悪化した。
一度しかない人生後半のスタートが、そういう状況の中強制的に執行された。参った。悩んでるうちに人生が後半になってしまった。
はっきり理由を言語化できないが、きっと悩んでないよりはマシなんだろう。生きる意味、とかつまらないことを考えていられるだけ私は幸福なんだろう。

お祝いの言葉を頂いた皆様、ありがとうございます。しかし、戦時中に赤紙を受け取った青年が他の人に「おめでとうございます!」と言われるときの気持ちって、命かかってないから比べようがないけど、ベクトルとしてはこんな感じだったのかもしれません。けど、ありがとうございます。というところで御礼に代えさせて頂きます。