SS 05/11

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今日は、ミクストメディア作品について



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さて、前回に続きArtKyoto2012で発表した作品についてです。

出展した作品は三点、前回のエントリーで簡単に説明した立体作品一点とミクストメディア作品の二点です。
ミクストメディア作品はジークレープリントをしたキャンバスの上からもう一度ペイントを施してあります。
構造的には立体作品に比べると非常にシンプルなものですが、写真だけではわかりづらいと思います。
またより正確に表現するなら、そのわかりづらさ自体に意味があります。
それとゆうのはジークレープリント自体が非常に再現性の高い複製技術であるからです。
最終のペイント工程前に届いた木枠にストレッチ済みのプリントされたキャンバスを見た瞬間に
作家自身の僕ですらオリジナルのように錯覚してしまった程で
その上から肉筆を乗せた後でも離れて見ている限りは明確な差を観測することが難しい。

前回のエントリーでは

どんなに印刷としての複製が高度であってもやはりオリジナルと並列されてしまえば、
肉筆として絵の具が置かれた必然や質量に対してはインクの定着では圧力で負けてしまうわけだし


と書きましたが、この作品に限って言えばそれはあまり機能していません。
もちろん量感といった部分を間近で観測すればプリントとペイント部分の差自体は判別できるのですが
絵の全体を捉えようとする時に眼前に飛び込むのはそういったディテールではないし
3Dプリンタ等の技術が存在する現代においては、いずれ印刷上でも量感は複製可能でしょう。
ここで僕はオリジナルとコピーの関係性が転倒していると言いたいのではありません。
クリエイションにおいて技術が肉体を駆逐していると言っているのでもありません。
ただ一つ示せることは、差異自体を観測することができないのなら、オリジナル(肉筆)とコピー(複製)とゆう概念はもはや機能しないだろうとゆうことです。
(しかし、それによって両者をより明確に、結びつき難くするものがある)

複製されたものは当然元になるオリジナルが存在していますが
仮にオリジナルとほとんど誤差と言えるほどに再現されているのなら
それは複製であってもオリジナルと本質的な差はないとゆうことです。
(だがしかし、関係性自体は維持される。見分けられないだけで決して転倒はしていない。)

とかく、そういった意図をもって制作したのですが
思いの外に複製部分と肉筆部分が渾然一体となっており「これはなかなかおもしろいぞ。発展できる。」と思い
あれやこれやとまた思案を始めています。


ちなみに、網膜的に観測できるできないといった話でRetinaのことを思いつきましたが
反射と放射の知覚は明快に違うものなのであまり有効ではないですし
その辺の内容については別の機会にしたいと思います。


それと、この作品は東京での展示も考えています。
またいくらかのアップグレードを行う可能性もありますのでお楽しみに。

少し話過ぎたかなとも思いますが、目に映る以上のことは語ってもいないのでまぁ問題ない範囲でしょうか。
(かくあるべしと命令する用語ではなく、かくあると描写する用語)

それと、Takcomさんからオーダーしてもらっていた作品が描き上がったので
それについてもまたの機会に書きたいと思います。
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HouxoQue