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人生で一番最初に、自覚的に眠れなかった日のことは良く覚えている。

小学校一年生の頃、うちの父が突然ゲームセンターに通い出した。
父は、一つのことに没入するとそれしかしなくなるし、そのことしか話さなくなる。今も昔も変わらず、とにかく一つのことしか話さない。ちなみに、今はほとんどオーディオ系の電子工作のことしか話さない。久しぶりに息子がニューヨークから帰ってきても、オーディオ系の電子工作のことしか話さない。



その時期は「ゼビウス」だった。どこで覚えたのか、父はとにかくゼビウスのことばかり考えるようになり、ゼビウスのことしか話さなくなった。
ゼビウスがファミコンに移植された日に、我が家にはファミコンがやって来た。他の家のように子供である私が欲しがったとかではなく、父がただ家でゼビウスをやりたかったから、ラッキーなことにファミコンが家にやってきた。namcot03、ゼビウスだ。紙パッケージぎちぎちにカセットが入ったあの感じ、忘れることができない。
xevicase

ファミコンが来る前は、毎日のように桜新町のゲームセンターに連れていかれた。
あの、煙草と洗剤みたいな臭いが絶妙に混じり合ったゲームセンターの臭いが好きだった。私にとっては、あの臭いが父の匂いだ。
小学校一年生だから、ゲームは下手だった。だけど、父は数百円をくれて、ゼビウスをやらせてくれた。たまに浮気して1984とか、別のシューティングゲームをやってみたりしたが、何と言ってもゼビウスだった。
父がゼビウスをプレイするのを眺めているだけでも心地よかった。毎日やっているだけあって、父は16面を無傷でクリアするほど上達した。ゼビウスは清水家の公式競技だった。

父は、ファミコンだけでなく、ゼビウスに関連する様々な物を買ってきた。細野晴臣さんの「ビデオゲーム・ミュージック」が、いつも家のレコードプレイヤーから流れていた。
ゲーム雑誌なんかも買ってきた。ある、ぺらぺらの安っぽい印刷の雑誌を父が買ってきた日が、私が生まれて初めて自覚的に眠れなくなった日だ。

「Beep」というゲーム雑誌のゼビウス特集だった。今まで直線的で不思議なビジュアルだけの世界だったゼビウスが、この本を読んだだけで突然立体化した。
この雑誌には、ゼビウスの各ステージの地図がすべてついていて、各敵キャラの名前や設定、ジェミニ誘導の方法など、ただゲームをしているだけだと可視化されない現象や設定がふんだんに盛り込まれていた。世界がファッと広がった感じがした。
「わあ」と思った。
toro

今まで知らなかった無名の敵キャラを名前で呼ぶことができるようになったことが新鮮だった。最初に出てくる丸くてくるくる回るやつは「トーロイド」。トーロイドと言われてみるとトーロイドにしか見えなくなる。
一緒に漫然と過ごしていた遊び相手が全部命名された感じ。しびれた。

眠れなくなった。母親には、「興奮している」と指摘されたが、少し心外だったのを覚えている。興奮という言葉の、理性を失った感じというか、ちょっとかっこ悪いニュアンスを子供なりに理解していたのだと思う。
とにかく、そのときが、自分の人生で「眠れない」という生理現象を初めて体験した時間だった。

あのときの、世界がファッと広がった、「わあ」という感じは、なんというか、非常に男の子っぽい感覚だったのではないかと思う。
男の子は、妄想する生き物だ。目の前に、妄想のフィールドが無限に広がったとき、男の子は眠れなくなる。こんなことも、あんなこともできる、ありうる、みたいなことを妄想できる器がでかければでかいほど楽しくなってしまう。
そして妄想には一定レベルのトリガーが必要で、私にとってはあの一冊の雑誌がトリガーだったのだろう。妄想が妄想のトリガーを引いたりする。
ゼビウスというゲームの中の世界をいろいろ妄想して、7歳の私は、頭が回転しっぱなしになってしまった。

それは、男の子の感覚を持った女の子でも、男の子の感覚を持ち続けている大人でも良いのだけれど、こういうのはとにかく男の子が患いやすい症状なのではないかと思う。
ゼビウスをつくったのは大人だ。というか、遠藤雅伸さんだ。
ちなみに、ゼビウスの後、私は遠藤さんの「ドルアーガの塔」に夢中になった。父は見向きもしなかった。

大人は、具現化の方法を知っていて、悲しくも妄想のトリガーを知っている(人もいる)。大人になった私は遠藤雅伸さんと同様に、カテゴリーは違うけれども妄想を具現化する仕事をやっている。

いま、東京モーターショーで展示されている、トヨタのコンセプトカー「FV2」。未来のコンセプトカーである。
コンセプトメイキングのお手伝いから、映像制作・アプリ開発・幕間のインタラクションといったモーターショーでの展示関連まで、1年半以上かけて関わらせて頂いた。
普段、広告寄りの企画制作に軸足を置く人間からすると、とても長い期間だ。企画書も何通書いたかわからない。打ち合わせも何時間したかわからない。関わっている人も大変な数にのぼる。
このコンセプトカーを通して表現されていることは多面的だし、実際の展示を見て頂けると良いなあと思う。
fv2

しかし、私はこのプロジェクトを仕切らせて頂く上で一つの裏目標を立てていた。
それは「男の子」の妄想のトリガーを引くことだ。
だから、映像の主人公は男の子だし、明快な「カッコ良さ」を目指した。
制作中にも、アートディレクターをやって頂いているDELTROの坂本さんの「男の子」トリガーを引いてしまって、超細かい舞台設定を作り込みまくって頂いたのをはじめ、トヨタさんも含めて、老若男女、いろいろな「男の子」たちが盛り上がりながらつくった。

だから、もちろん仕事としての責任はいろいろあるけれど(というか、とても大きな仕事なので、すごく大きいのだけれど)、個人的には、誰か「男の子」がクルマと展示を見て、世界がファッと広がった、「わあ」という感じを覚えてくれさえすればそれで良かった。

展示初日、最後までずっとクルマの前から離れずに似たようなアングルのFV2の写真をひたすら撮り続けている小さい男の子がいた。
本当に面倒なことも多いし、腐った部分もたくさんある業界に身を置いているけれど、これだからこの仕事はやめられん、と思った。
数日後、父に会ったが、オーディオ系の電子工作のことしか話さなかった。

私は不在ですが、12/1の日曜日までコンセプトカーが展示されています。スマートフォンからもリアルタイムで展示に参加できます。
是非、見に来てくださいませ。

TOKYO MOTOR SHOW
FV2 スマートフォンアプリ