村上隆のスーパーフラット・コレクション展は、ガラクタから「価値」を見つける実験場になる
「蕭白、魯山人からキーファーまで」と副題にある通り、古美術から現代美術の名立たるスター、村上隆と同世代の作家まで、ジャンルは洋の東西を問わず多種多様。横浜美術館で開催中の「村上隆のスーパーフラット・コレクション」展は、色々と示唆に富んでいて刺激的でした。
村上隆のスーパーフラット・コレクション展—蕭白、魯山人からキーファーまで—
横浜美術館 〜4月3日まで
ロレッタ・ラックス、スティーブ・ジョブスのポートレイト、奈良美智が同じ面に並び、左を向けばヘンリー・ダーガー、数歩進めばアンディ・ウォーホルにダミアン・ハースト、いや待てよ、第1展示室でわたしたちは魯山人の器を見てなかったか……?と、めくるめくスペクタクルな情報量に頭がクラクラしてきます。
それは、1950年代生まれの巨匠アーティストによる偏愛世界ととらえることもできるのでしょうが、個人的には(世界一好きな)大阪万博公園の民族博物館(通称・みんぱく)や、ロンドンのサイエンスミュージアム、そして東大博物館の学術文化総合ミュージアム・インターメディアテクを思い起こす博物展でした。
その数およそ5千点以上、いまなお増え続けているという村上隆のコレクションから、約400点を「スーパーフラット」に選別・展示した今回の展覧会。
浅田彰氏による約1万字のレビューにもある通り、このコレクションは「どこのものとも知れぬガラクタとキーファーの超大作とが並列され(逆に言えばキーファーの超大作もまたガラクタとしての本質を現す)」、「監修の目を眩ませ価値観を揺さぶるこの極端な凹凸」こそが「スーパーフラット」と呼ぶにふさわしいもの。
「コレクションというのは不思議な磁場を持っていて、
アーカイブして初めてわかる発見の妙があるんです」
と語ったのは、東大博物館館長であり、KITTE内の学術総合ミュージアム「インターメディアテク」をプロデュースした西野嘉章館長。この西野館長の人類の叡智とも呼ぶべき卓越した審美眼は常々脱帽させられるのですが、今回の村上コレクションにも通じるものを感じました。

インターメディアテク/「INFORIUM vol.3 歴史へ」巻頭特集
インターメディアテクは、動物や昆虫の標本、学術資料がカオティックに陳列され、そのほとんどにキャプションはおろか、展示導線すら設計されていない(ように感じる)。「博物館」というイメージが先行し、ショウケースの中で貧相に展示物が並ぶ退屈なハコを想像するのはあまりにももったいないのです。以前、やんツーもインターメディアテクについて書いてましたね。
@arina02 あーその人の趣味な感じなのね、鳥の剥製の後ろにいきなりアフリカの民族楽器出てきたり貨幣お札コーナーに赤瀬川源平の0円札が紛れ込んでたりで展示構成がぐちゃぐちゃで今までにない博物館な感じがしてよかった
— やんツー (yang02) (@yn02) 2016, 1月 15
この「ぐちゃぐちゃ」こそが西野館長の思想そのもの。
「『これは何だろう?』と、すぐには言語化できないモノをとことん見せていくんです。
その瞬間から思考は育まれていく。
すべてが均質化されていく今日において(略)、ものの価値をじっくりと考え、自身で答を導き出していく実験のアリーナが、このインターメディアテクなのです。」
——NTTデータ広報誌『INFORIUM vol.3 歴史へ!ー進化するアーカイブ』記事より
(何度もごめんなさい、昨年執筆した拙記事なのですが、良ければどうぞ…。ちなみにこの号の表紙&巻頭インタビューは杉本博司さん。冒頭で先述した浅田さんのレビューと合わせて読むと面白いかもしれません)
ものの「価値」って何なんでしょう。はてまた、芸術の「価値」とは?
おそらくこの村上コレクションも、インターメディアテクも、興味を引くモノは人それぞれでしょう。そのとき、「価値」を見つけるのは自分自身でしかないことに気付かされます。
自分で価値を見つける。これと関連した話は、ドミニク・チェンさんとご一緒している「シンクル」および「シンクル大学」の実践にもつながっているような(詳しい内容はSENSORSの記事「欲望をどうデザインする?|ドミニク・チェンが育む編愛コミュニティ」に)。
わたしは今回の村上コレクションの宇宙を歩きながら、たくさんの「かわいい」ものたちに出会いました。それはキャラクターの造形云々ではなく、心の奥底に突き刺さる「もののあはれ」なかわいさ。(超勝手に、村上さんってピュアなひとなんだなあ……と思ってみたり)
Instagramで横浜美術館タグを追うと、アップされている写真が本当に千差万別で面白いです。気になった方はぜひ横浜まで答え探しへ!(自分探しっぽい!)