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6. タイプデザイナー、両見英世がいま考えていること

June 9, 2011
Taro Yumiba
デザイナー、弓場太郎による連載。第6回目はタイプデザイナー、両見英世へのインタビュー

今回お話して頂いたのは、タイププロジェクト所属のタイプデザイナー、両見英世さんである。都市フォントプロジェクトでは、代表の鈴木功さんと名古屋金シャチフォントプロジェクトに関わると共に、横浜開港150周年をきっかけに、横浜の空気感(歴史、文化、気質、町並みなど)を表現したフォントを制作している。

書体デザインに携わる傍ら、3月の東北地方太平洋沖地震後、被災地や東北の生産者を長期的に支援するプロジェクトとして、「FOOD FOR FRIENDS!」を立ち上げた。また最近では、地元四街道の同世代が中心となり、四街道の物語を掘り起こして、これからの物事を考えるプロジェクト「かたりべ四街道」という試みを始めている。

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いま考えていることを聞く前に、少しバックグラウンドを教えて頂きたいと思います。どういったきっかけで書体のデザインをしたいと思うようになったのでしょうか?

専門学校に進学してウェブ制作の授業を選択していたのですが、その時に文字への興味をもちました。学生時代のクラスメイトは、とてもフォントが好きで、毎日のようにフォントの情報が飛び交っていました。はじめはファンシーなフォントを見ておもしろいと感じていましたが、より実践的な授業に なっていくにつれて本文用のフォントに興味を持つようになりました。ある時、コンピューターにインストールされていたHelveticaの細いウエイトと太いウエイトをソフトを使って重ねてみたんです。重ねてみるまでは、細いウエイトの線が太いウエイトの中心線の位置に重なると思っていたのですが、実際に重ねてみると全然別の位置に重なったんです。それを見て細い線を元に均一的に自動で太さを調整してウエイトを作成してるのではなくて、人間の手で一つ一つのウエイトを作っていることに気づき、とても感動したのを覚えています。ただごとではない仕事だなと思い、将来はこういう仕事に就きたいな思いました。

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HelveticaのLightとBoldを重ねたところ。

タイププロジェクトに参加されたのはどういった経緯だったのでしょうか?

専門学校を卒業して、都内のウェブ制作会社に入社しました。入社してすぐ、AXIS Fontを買って下さいと会社の先輩に言ったんです。デザインが奇麗だなと思っていたので仕事で使いたかったのと、ちょうどキャンペーンで安くなっていたこともあってお願いをして買って頂きました。AXIS Fontの購入がきっかけで開発元のタイププロジェクトを知り、1年半後にタイププロジェクトが運営しているタイプコミュニティに登録をしたんです。そしたら代表の鈴木さんから「会いませんか?」とメールが来たので、直接会って話をしました。

ウェブ関係の人からの登録は珍しかったということで声をかけて頂いたようでした。話の内容はあまり憶えていないのですが、当時取り組んでいた仕事の話をしたように思います。しばらくして、当時開発中のAXIS Condensedのデバッグ作業を依頼されました。2007年のことだったと思います。依頼内容はAdobe Flash、Fireworksなどのウェブ系アプリケーションやMicrosoft Officeでの動作チェックで、一通りの機能を試してみて、他の書体と挙動の異なるものを中心にレポートを送りました。このときにお礼として発売前のAXIS Condensedのライセンスを頂いたことはとてもエキサイティングな事でした。

その後どのようにAXISフォントと関わるようになってのでしょうか?

しばらくして、鈴木さんに誘われて食事にいきました。このときはAXIS Fontと親和性の高いピクトグラムの可能性というテーマでお話をしました。僕が卒業制作で作ったicon edit onlineというアイコンジェネレーターを見て頂いていて、ピクトグラムに興味があるように思ったそうです。このときのやりとりがきっかけとなり、その後動き出したAXIS Font Emojiプロジェクトに誘われ、タイププロジェクトに参加するに至りました。

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icon edit online
http://saladbowl.org/icon/

AXIS Font Emojiプロジェクトの後は別のAXIS Font関係の仕事と平行しながらtypeproject.comのリニューアルをしました。リニューアルを期にタイププロジェクトのウェブマスターをすることになり、AXIS Latinの販売時にはイタリックに合わせてウェブサイトを傾斜させたりしました。(http://www.typeproject.com/index_naname.html

tp_naname.png
AXIS Latinの販売開始に合わせて傾斜させたページ
http://www.typeproject.com/index_naname.html

最近では都市フォントプロジェクトを手掛けられているようですね?

2008年の末にタイププロジェクトは都市フォント構想を企てて、僕はその内容を約半年間かけてサイトにまとめました。このころは、ほとんど鈴木さんとミーティングばかりをしていたように思います。そして、2009年6月2日にcityfont.comを公開し、名古屋と横浜で都市フォントプロジェクトが始まりました。ちょうどこの日は横浜の開港記念日で、それに合わせての公開でした。

僕は都市フォントプロジェクトでは主に横浜を担当していて、cityfont.comの立ち上げからちょうど1年後に濱明朝体(仮)の試作を公開しました。Twitterなどでお知らせをして様々な反応を頂いたので、参考にしながらファミリーのあり方と、ひらがな、カタカナのかたちを探っているところです。横浜の都市フォントをデザインするにあたっては横浜でやりたいと当初から考えていたので、今年の2月から八〇〇中心という中華街にオープンしたシェアオフィスに入居して、汽笛の音や横浜の風を感じながら作業をしています。

また、現在ではAXIS Fontの新しい展開として、AXIS明朝の制作(漢字の一部)に関わっています。

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濱明朝体(仮)
http://www.cityfont.com/project/yokohama.html

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AXIS明朝
http://www.typeproject.com/demo/axis_mincho.html

東北地方太平洋沖地震後、いち早くFOOD FOR FRIENDS!を立ち上げられましたね。その前後どういった時間の流れがあったか、詳しく教えて下さい。

3月11日の地震発生直後は石神井公園にあるタイププロジェクトの事務所にいました。地震が起きてから家族となかなか連絡をとることが出来なかったので、ひとまず自宅に帰ることを決めました。JRが全線運休と発表していたので、鈴木さんに自転車を借りて事務所から自宅まで60kmの道のりを7時間くらいかけて帰りました。家までの道中はとにかく家族のことが心配で心配でたまりませんでした。出発から5時間後くらいに鎌倉の停電が解除されたようで、家族と連絡をとることが出来ました。それからは、安心感と疲労で少しスピードを落とし、事故に気をつけながら家に帰りました。

震災後の心境はどういったものだったのでしょうか?

それから2日間くらいは何も手がつかなくて、iPhoneの画面を眺めてはTwitterの情報やGoogle ニュースを介して地震関連の情報をひたすらに浴びていました。13日は本当にiPhoneばかりを見ていたのだと思います。子供を風呂に入れているときに「パパ、ニコニコして」と声をかけられ、寝る前には「パパ、顔を見て」と手で顔を挟まれて振り向かされました。この日は長女の誕生日だったのですが、本当に何も出来くて落ち込みました。

温泉地情報などをウェブサイトに掲載されていましたよね。どういった所からその情報を得ていたのでしょうか?

15日の夜にtwitter経由で、山形県出身の方が被災者を受け入れている山形県の温泉地情報をブログに掲載していることを知りました。僕はその情報を元に、Google マップに位置情報を配置する作業と携帯電話からでも閲覧できるような簡単なページを作成して公開しました。また、山形県の体育館や公民館などの避難所が掲載されているリストが、県からPDFでアップされていたので、こちらも簡単なページを作成して公開しました。3年前から、おらほの屋という山形県の物産を扱っているサイトのお手伝いしていたこともあって、山形県に縁があったんです。

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山形県の被災者受け入れ温泉地情報(2011年4月8日現在)
http://shop.orahono.com/spa.html

震災後はTwitterなどで迅速に情報を伝えることが出来たと同時に、必要でなくなった情報がRTされ続けたり、情報が錯綜することも多かったですよね。そういった難しさはありましたか?

そうですね。避難所情報は、毎日10時、15時の2回、山形県から情報が更新されていました。この情報を元に3、4人の方が山形県の避難所情報を独自にまとめていて、#hn_ymgtというハッシュタグで告知していました。僕も同じように、情報をまとめたリストを告知していましたが、ふと、みんなで同じことやっていて同じところにリソースを割くのはもったいないと考えるようになりました。それで、みんなと協力しあって参照元を一本化したいと思って、Twitterで呼びかけたのですが、あまり反応がなくて難しいなと思いました。なので、せめて自分のところで作成した避難所情報をTwitterで告知するのをやめることにしました。

Googleと連携して情報公開していたと聞きましたが?

一本化する先を別に探していたところGoogleが避難所情報を収集していることを知り、仕組みが優れていたことと、Googleのプラットフォームとしての信頼度もあり、集約先をGoogleにしようと考えました。そこで県の避難所情報に位置情報を加えたものをスプレッドシートにまとめ、Googleに連絡をしました。3月21日のことでした。翌日、Googleから連絡があり、こちらでまとめた情報をGoogleに取り込んで頂けたので、その後はスプレッドシートの更新などをしながら、長期的に取り組めるプロジェクトとしてFOOD FOR FRIENDS!の構想を練っていました。

とくにジレンマを感じた所はどこだったのでしょうか?

避難所情報などの収集や呼びかけは短期的な取り組みだと考えていました。本来であれば、山形県のウェブサイトにどのようなデバイスでも見られるような状態で情報が更新されていることで信頼度の高い参照元を一本化することが出来ましたし、編集や再加工可能な状態での情報公開が出来ていれば、僕や他の人が間に入る必要もなく、Googleがデータを整形して、マップに配置したりすることも容易だったと思います。山形県には電話とメールでデバイスに依存することなく閲覧できるような状態での情報公開を勧めましたが、現在もPDFでの告知に留まっているようです。

最終的には以下にそれぞれまとめました。結果的に被災地の方にお届けできたかは分かりませんが、ボランティアの方々からは、Twitterを通じて見て頂いたとのお声がけを頂きました。

山形県被災者受け入れ温泉地リスト
山形県被災者受け入れ温泉地マップ
山形県避難所リスト
山形県避難所マップ
山形県避難所スプレッドシート

FOOD FOR FRIENDS!はどういった反響でしたか?プロジェクトを始めるに至った経緯も教えて下さい。

始めた経緯としてはもともと山形県の生産者と縁があったからです。自分の持っている職能やネットワークなどを踏まえて考えたところ、被災地に近い山形県の方々と連携して出来ることはないかと思ったのです。

ウェブサイト公開直後に、とても親しくしているデザイナーや山形県でお世話になっている方々から多くの応援の声を頂いたり、料理写真家の友達を通じて食関係の方々からも思いがけず応援の声を頂きました。

また、以前ペイパーボーイ社のデザイナー勉強会でプレゼンテーションをしたことがきっかけで知り合った方に、プロジェクトの公開に合わせてコンタクトを取りました。すると社内で関わり方を検討して頂いて、サーバの手配や告知などで大きなご協力を頂ける事になりました。またメディア関係ではgreenz.jpソトボラといったウェブサイトで活動を紹介して頂きました。

そういったお知らせを通じてFOOD FOR FRIENDS!を知って頂いた方からイベントのお誘いも頂き、5月13日に湘南なぎさ市で、5月28日、29日にはROCKS TOKYO 2011という野外ロックフェスティバルにブースを持つことが出来ました。湘南なぎさ市には定期的に参加させて頂けることになりましたので、お近くのにいらした際にはぜひお立ち寄り頂けたらと思います。まだまだ、僕の実行力が至らないと言うこともあってとても小さな活動ですが、じっくりと取り組んでいきたいと考えています。

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FOOD FOR FRIENDS!
http://foodforfriends.jp/

FOOD FOR FRIENDS!をどういった形で展開していこうとお考えでしょうか?

プロジェクトを立ち上げた当初は被災地の生産者を買い支えるという方針で、山形県から徐々に被災地の生産者へ広げていきたいと考えていました。ただ、山形県以外には知り合いの生産者がいないことなどもあり、被災地の農作物を販売することがなかなか出来なかったので、売り上げの一部を寄付することを活動の柱にして、全国にこの活動を広げていきたいと思っています。参加の仕組みもシンプルに、手続きを極力減らして参加出来るようにと考えています。実際に店舗をお持ちの方であれば、FOOD FOR FRIENDS!のロゴや説明パネルのデータをインターネットからダウンロードして頂いて、自由に販促ツールにお使い頂ければと考えています。オンラインショップを運営している方であれば簡単なコードを貼り付けるだけで商品画像にFOOD FOR FRIENDS!のロゴを重ねたり、プロジェクトの概要を表示できるように準備しています。

また、FOOD FOR FRIENDS!以外の○○ FOR FRIENDS!という広がりにつなげていきたいと考えています。僕はたまたま山形県の生産者と縁があったので、農業に関するプロジェクトを立ち上げましたが、人によって関連領域が異なるのでいろいろ考えられると思います。多くの個人、企業、団体とコラボレーションをして、沢山の○○ FOR FRIENDS!が出来るように働きかけていきたいと思っていて、実は鈴木さんから提案を頂いてFOODではないもう一つのFFF!を考えているところです。

「にほんご」に込めた想いは?

にほんご」には多くの反響を頂きました。このプロジェクトを立ち上げる3月25日前後はいろいろな方々の手によって様々なプロジェクトが立ち上がっていました。しかし、立ち上がっていくプロジェクトに対し、すぐに辞めてしまうんじゃないか、災害に便乗しているんじゃないかといった声が少なからず見受けられるようになり、なかなか声を発するのが難しいなと思える状況がありました。

「にほんご」はあくまで少し目線を下げて小学生くらいから16年前の自分と同い年くらいの少年、少女に向けてのメッセージではありますが、読んで頂いた個人、企業、団体に向けて、今考えていることを周囲の声に恐れずに一緒になって行動に移していこうという思いも同時に込めています。僕自身は震災直後に立ち上がる様々なプロジェクトを見て、沢山の方が考えて行動することがとても尊いものだと感じていたのです。

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「にほんご」のページ
http://foodforfriends.jp/to_you.html

タイププロジェクトでの都市フォントプロジェクトや、地元四街道でのかたりべ四街道プロジェクトなどコミュニティに根ざしたプロジェクトを一貫してやられていますが、その背景を教えて下さい。

都市フォントプロジェクト自体は鈴木さんの発案で、そのアイデアは10年前くらいに遡るそうです。僕は横浜でのフォント制作に携わっていますが、一方的に横浜をイメージしたフォントはこうあるべきだと発表するのではなくて、形作るプロセスに、横浜に関係のある方々との対話から立ち上がってくるキーワードを取り入れたいと思いました。ちょうど横浜開港150周年を期に様々な催しが開催され、市民同士が横浜について語り合うという催しがあったので、そういった催しに参加して多種多様な人との対話を繰り返しながら横浜に関するキーワードを集めていきました。

かたりべ四街道とは?

かたりべ四街道は数年前からやりたいと考えていたプロジェクトです。千葉県四街道は僕の生まれ育った街なのですが、これといった特徴や特産品もなく、学校の授業ではドーナツ化現象によってできたベッドタウンとして習ったのを覚えています。子供ながらにベッドタウンって何とも悲しいネーミングだなと思いました。しかし、この年齢になって改めて四街道を直視してみると表面的にはベッドタウンから連想させる平均化された街という印象があるものの、四街道には脈々と育まれてきた物語があり、起伏に富んだ街だということに気づくのです。その物語を街の固有性として捉えると、その固有性を多くの人が共有できる場を作り上げることで、多くの人が認識し、伝播していくという流れが生み出されるのではないかと考えました。そこでかたりべ四街道というプロジェクトを中学時代の同級生と立ち上げるに至ったのです。このプロジェクトは語り場という場を用意して、物語を演じているキャスト(個人)を語り部としてお招きして話を聞き、参加者で共有しながら、これまでのことと、ころからのことを考える試みです。近い将来、僕も語り部となって次の世代に語りながら、それまでのことと、それからの事を次の世代とともに考えていきたいと思っています。

両者の共通点はどういったものでしょうか?

この2つのプロジェクトを照らし合わせて考えると、コミュニティという類似性が立ち上がってくるかもしれません。僕が取り組んでいるのは、地域をテーマにしたコミュニティなので様々な職能や性格、背景、文脈をお持ちの方が参加しています。これがある特定の分野のものになってしまうと、偏ってしまうのですよね。どちらか一方にとらわれることなく、多様性を受け入れるコミュニティと特定の専門性を求めるコミュニティの両方に属していきたいと思っています。コミュニティの規模感は様々ですが、名前と顔が一致できるような規模感というのが僕らしいかなと思っているので、そのあたりは意識しています。

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かたりべ四街道
http://kataru.org/

タイプデザイナーでありつつ、こういった様々な活動をする理由は何でしょうか?

知的好奇心や特定のテーマにおける問題意識というのもありますが、文字が持つ広がりや可能性を信じているからというのが大きいと思います。文字は分野横断が可能で、アイデア次第ではどの分野にでも関わっていけるものだと思うのです。デザインの分野だけでも、グラフィックを始めプロダクト、建築など様々なところで文字が関与していることに気がつきます。また、デザイン以外の分野でも文字の領域と重なるところが沢山あります。文字が意思伝達のための記号という役割があるならば、当然なのかもしれません。様々な分野をひっくるめて広く社会という言葉に置き換えると、社会と文字との接点がとても多いことに気づき、タイプデザインという視点や考え方をもって、社会の事柄に取り組んでいこうと考えているのです。

最後に、いま大切なことは何でしょうか?

考えることでしょうか。1つの方向性だけでなく複数の方向性や可能性を同時に考えることをとても大切にしています。都市フォントでいう地域性の軸で考えると、始めはローカルな方向によっていくのですが、不思議なことにあるときグローバルな方向に逆戻りしていくのです。始めはこの地域性という軸の中間を大人的な落としどころにして、中途半端になってしまうような不安もありました。しかし、竜巻のように螺旋状の線をローカル領域とグローバル領域を行き来しながら上昇していくというイメージに置き換えると、考えが昇華されていくように思え、今はその不安を感じていません。実行力は人それぞれ異なるでしょうが、考えることは全てのことにつながっていると思うのです。

今日も、とある軸を行ったり来たり、ぐるぐる回りながらあれこれ考えています。

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yumiba_hideyor.png両見英世
1982年生まれ。千葉県出身。ウェブサイト制作会社を経て、2007年タイププロジェクトに参加。タイププロジェクトが掲げる都市フォント構想の推進メンバーとして、「cityfont.com ― voice of a city.」の立ち上げに携わる。都市フォント構想を背景に、2009年より横浜をテーマにした書体作りを開始。2010年6月2日、横浜開港記念日に合わせて「濱明朝体(仮)」の漢字、欧文の試作を公開。現在、濱明朝体(仮)のひらがな、カタカナの検討と横浜ならではの書体ファミリーの有り様を探っている。


インタビューに事細かに答えて頂いた両見さんどうもありがとうございました。ところで、今回が連載最終回になります。この場をお借りしてDots&Linesでの執筆の機会を与えてくれた栗田さん、CBCNETスタッフの皆さんに御礼を申し上げます。読んで下さった皆さまありがとうございます。たまにインタビュー記事などを書かせて頂こうかと企んでおります。

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