そういえばこないだフト思ったんだけど、

写真と映像との関係を考えてて、

まあこういうのはメディアなんちゃら論とかでいくらでも言われてそうではあるけど、写真と映像って写真の方が歴史が古くて、だからアートの中に登場したのも早かったわけで、それは置いておいて、

たとえば“ある人間”と、“その人を写した写真”が並べてあったときに、その2つのものが同一のものだと思ってしまう人は、まったくいない。簡単に見分けつくのは当たり前なんだけど、その“違い度”みたいな部分で見たときに、“ある人間”と“その人を写した映像”が並べてあったときの違い度の方が、写真より少ない気がする。

実際のところは写真は紙に色が着いた物体で、映像機器なんてもっとおぞましい機器の中で小人さんがヘーコラ言いながら作り出してる幻影で、それだってごっつい物質で、人間そのものとはどっちも同じくらいかけ離れてる。

でも、なんとなく映像のほうがその違い度が少ないと感じてしまう。

映像には時間軸があるから、っていう意見もあるけど、写真に時間軸がないかと言ったら、そんなことない。写真にもし時間がなかったら、一瞬だけ目の前に現れて消える訳で、そんなことなく、僕らと同じ時間の中で紙やらインクが劣化し続けている。

で、何が言いたいかって言うと、写真も実は登場したばっかりの時はその「違い度」が少なかったんじゃないかなーということ。絵画しかないときに突然写真が現れた時は「すげー、そこに本人がいるみたいだよー」とみんな思ったんじゃないかな。「これ魔法かよ!」と。そう考えると、映像に少しそういう力が残っているとしたら、映像はまだまだこなれたメディアじゃないんだろうな。

もちろんインタラクティブな映像なんかにも同じことが言えるし、だから例えば作品が、使用しているメディアの幻影的な部分を強調してたり、つまり実物との違い度が小さいことを前提に作られたものだとしたら、それは長生きできないんだろうなと。

そんなことを、長生きする作品なんてまったく意識ないで作ってる自分が、ふと思った。

ps

大きめの液晶地デジテレビを買った直後、部屋の中でニュースキャスターと相棒が同じくらいの大きさで並んで見えた。このときに、その二つが全く違うものだって強く感じた。一番の違いは、キャスターが自ら発光しているところだった。

ps2

映像機器がどんどん薄くなって紙に近づこうとしているのは変だと思ってみる。写しているものはだいたい厚みがあるのに。人間を映すモニタは人間くらいの厚みがあった方がリアルなんじゃないかと。思う。いや、思わない。

ps3

Skypeとかの映像に向かって一生懸命話しかけてる姿を50年後の人が見たら爆笑するのかなやっぱり。