昔スケボーを始めたころ、アクセル・ストールという技を練習していた。

どういう技かというと、ベーシックな技なんだけど、
ちょっと高くなった段差のようなところに、Truck(ウィールが取り付けられた金具の部分)のハンドルの部分で乗っかるような技。

写真だとこんな感じのこと



まだ板のコントロールも良くなくて、何度もチャレンジするんだけど
前だけ乗った、とか後ろだけとか、両方ちゃんと乗せたいんだけど
まぁブレる訳ですよ。

「段差に垂直にアプローチして、軽くOllieして、90度ほど板を回転させて、
その時のスピードはこれくらいで、まず後ろのTruckから乗せて、そのあと前のTruckを乗せて… 」とか、手順をいろいろと試しながら、トライ・アンド・エラーをし続けていると、ふとある考えが頭をよぎった。

「板をああしてこうして、その時足をこのタイミングでこうして…. じゃなくて俺がやりたいのはこの段差に乗るっていうシンプルなことだけだよな」

試しに板なしで、自分の足だけでぴょんっとジャンプして乗ってみる、
簡単にできるわけですよね。何度やっても段差のヘリに両足キレイに乗せることができるわけですよ。まぁ自分の使い慣れた足なんで、それはそうなんですけどね。

でもその時に「まず右の足を上げてから、後ろの足でこのタイミングで地面を蹴って…」とか考えてないわけですよね。ただ単純に「この段差に乗ろう」と思ってひょいって乗るだけ。

スケボーだって同じなんじゃないのかと思った。

足だけで乗った時は、自分の身体を乗せようとしたらよかっただけ、
スケボーに限っては板をどうしてこうして、と考えてる。

そんなのナシに「俺のTruckをここに乗せよっと」と思ってできないのか。
Truckまでを自分の体の一部だと思えないのか、、、

逆に思わなかったらダメだろうと。

その意識になって練習したら、めっちゃ成功率が上がったんですよね。


話が飛びます。


前にスイスで友達のホームパーティに行った時に、壁に鉄拳がプロジェクションされてて、みんな飲みながら格ゲーやってるわけですよ。ワイワイ。

僕は、バーチャファイターは結構やりこんだんですけど、鉄拳はほとんどやったことなくて。でも日本人だろということで、すぐその会場で一番強かったゲームの持ち主と対決することになったんです。


ボッコボコにしてしまいました。


って、
これは別に自分がゲーム強いって自慢とかではなくて、その時にさっきのスケボーの話と同じことを強く感じたんです。

そのパーティでゲームをやっている人達を見ていると、みんなボタンをポコポコ叩く部分でなんだか楽しそうなんですよ。赤いボタンを叩いたらパンチが出て、青いボタンを叩いたらキックが出て、ボタンを押した、はいパンチ出た!当たった!やった!とかそういう感じ。

でも僕は違かったんです。僕は相手を殴りたいと思って、殴ってただけだったんです。
ボタンとかは意識から消えてます。僕の手の感覚はゲームのキャラクターの手のところまで伸びている。ボタンを押すからパンチが出るんじゃなくて、パンチを出そうと思ってパンチしているだけ。

それって日本のゲームカルチャーに叩きこまれてきたやりかただと思うんですよね。僕が強いってわけじゃなくて、日本のゲームカルチャーがそこまで深いんだと思うんですよ。だからボタンをパシパシ叩いて浮かれているような人達とは、ちょっと意識が違うというか、、、普通にパーティでそこまで本気になるなよっていう話ですがw


上の2つに共通していること「自分の身体感覚がどこまでなのか」ということ。
スケボーのトラックの先まで自分の体という感覚が持てれば、この段差に乗ろうと思うだけで乗れる。ゲームのキャラの手までが自分の体だと思えれば、ボタンを押す行為だって神経の反射のように処理される。

そういう感覚っていろんなジャンルでもあると思うんですよね。

たとえばミュージシャンがライブするとして、
このボタンを押したらこの音が出て、とか意識しているうちは遅いと思うんですよね。スピーカーからこの音を出したいと思って、出した。
くらいのシンクロ。

ハッカーだって、
このコマンドを実行したら、こういう出力が出てきて…じゃなくて、
こういう出力を出したい → 出した。
みたいなPCとの一体感。

または印刷メディアのデザイナーも、色校でこの色を指定したら、こんな感じの色でいいかんじ、というよりも、
この感じで出したいと思って出したがなにか。
みたいなダイレクト感。

まぁ時間がかかるものは、脊髄反射とは行かないけど、
それでも、「アウトプットまでを自分の身体感覚として意識できるのか?」ってのは何か大切な気がするんですよね。

僕がスケボーから学んだことの一つです。