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過去と未来のまんなかで広がり続けるいまの「本」を考える、メディアなんでも書店 「TRANS BOOKS」情報媒体に向かい合う
編集者・都築響一トークイベントレポート<後半>

November 7, 2019(Thu)|



2019年11月23日(土)、24日(日)の2日間、開催が決定しているブックフェア「TRANS BOOKS」。(開催情報はこちら

開催直前という事で、昨年のトークイベント振り返りの後半です。(前半はこちら)
出展作家の一人、編集者であり写真家の都築響一氏をゲストに行われた、トークイベント「本―溶解するメディア」。後半は質疑応答タイムへ…





来場者から都築さんへご質問

最後に会場に来ていた来場者から、都築さんへの質疑応答タイムへ。前半のトークの熱気も冷めやらぬまま、何かを作り発表することへの様々な質問が出された。

コンテンツを世の人々にどう届けるべきなのか?

質問者その1:明日コンテンツを書こうと思えば書ける仕組みはあるが、見てもらうハードルが上がっているように感じています。珠玉の1400Pを書いたとしても、一行目がキャッチーなヤフーニュース的なもの負けて埋もれてしまう中で、届けたり、見てもらうことが重要とされている世界で都築さんはどうやって戦っていますか?



都築:戦いなんかしていないです。そんなの考えちゃダメですよ。作ることだけに全力を注げばいいんですよ。マーケティングとか考えるのは100年早い。だってそんなの必要ないもん。昔と今の一番違うのは、昔はどんないい本、いい文章書いても絶対に届かないことがあった。例えば、私家版で50部の本作ったとしてもやっぱ売ってくれるところがなかったら読む人いないわけじゃない。今、アウトサイダーアートでもそうですけど、どんなに隠れて何かやっていても、本当に面白かったら絶対誰か見つけますよ、そんなの。だからもうどうやって届けようとか思っている時点で既に自分に負けている。じゃなくて本当に面白いものがあれば、自分が隠そうと思っても誰か見つける。昔はどんな面白い絵を描いたって、人に見せられなかったら、画廊がうんと言わなければお終いでしょ。

でも今は、例えばFacebookに一枚載せただけで誰かが見ますよ、絶対。本当に面白かったら、いきなり、とてつもないリツイートになったりするわけじゃない。そういうこと昔起こり得なかったことが、今はどんどん起こっているわけなので、なんていうかな、見せる努力っていうのは現実的に効果的なものはあり得ないんじゃないかな。だから僕はやってないですよ、一切。こうやってトークするぐらいですよ。だって、今は例えば誰か評論家の人と仲良くなって何か書評書いてもらっても何も意味ないし、インパクトもないから。それよか一箇所でも多くこういうとこ来て手売りしてた方が絶対いいもん。だから全然考える必要ないですよ。作ることに専念した方がいいと思います。70歳ぐらいまでそれやって売れなかったら、そこでちょっと考えよう。(会場笑い)。でも本当に30年間ぐらいはそんなこと考えちゃダメですよ。と、僕は思います。でもあんま参考にしないでくださいね。それは僕の想いだけですから。



作りたいことを、そのまま職業にして良いのか?

質問者その2:自分が何かを表現したいということが、何かを作ることにつながり、それを誰かがキャッチしてくれる時代ではあるのですけれど、それを職業にしようと考えては、もはやいけないのではという風に思っていて、それは売りたいって思った瞬間に、別の何か、ものづくりに飲み込まれてしまうということがあると思っていて。画家とか作家とかが職業として成立させていることがブレを生み出しているんじゃないかなという気がするんですけれど、その辺をどう思われますか。

都築:全然そんな風には思わないですけどね。だってそれが商売になるかどうかということと、創作の意欲は別のことだから。これ描けば売れるかなと思った瞬間に終わりなんですけど、そうじゃなくて純粋に作っていけば結果はあとからついてくるので。

例えば、ゴッホは別に売りたくなかったわけじゃなくて、めっちゃ売りたかったけど、一生売れなかったわけじゃない?けど死んだ瞬間に売れっ子になっちゃったわけじゃない。だから職業にした方がいいのかいけないのかっていうのは、考えても仕方のないことで。

ただね、一つ言えるのはちょっと前まではやっぱハングリーでもいいから、自分のやりたい音楽なり何なりをがんばって食えるようになったらベストっていう風にやっぱそういうロック親父の論法?みたいなのがあったと思うんですけど、今はそうとも限らないから。僕が取材している中でアマチュアってすごく多いんですよね、てかほとんどアマチュアの人なんですけども。

あのー、例えばすごく面白い写真を撮っている子がいてさ、ずっとバイトしながら撮ってるわけよ、でね、これ職業にすればいいのにって言うと、いやあの職業にしたら何か自分がやりたくないこともやらなきゃいけないからって言って、バイトしながらでいいんですって言うのが今、成立事情になってきたでしょ。自分のやりたいことで生きていければいいなっていう考え方ともう一つ、本当にやりたいことはお金に変えたくないっていう人たちもいるわけ。それは両方ありなんだよ。今や。今やアマチュアでも売る方法ができたから。売ってお金にしたいとか言うよりも、売ってることでみんなに見てもらえるっていう方法が音楽だって文章でも何でも出てきたらか、両方できるようになったわけだけれども、自分がどっちを目指すかっていうのを考えなくてはダメだよね。アマチュアでいながら、あの、売れると更にいいし、とか思っていると大体失敗する。全力で作ってみんながこれを買ってくれないとおかしいぜ、と思って、怒りながらどんどん次の作品をどんどん作っていくのか、どっちかに決めた方がいいよね、立ち位置を決めた方がいいよね。

でもいいんだよ、そうやって趣味でやるのも全然いいと思うし、その方がハッピーなケースもいっぱいあるからいいんですけど、両方は追えないよね。でも売れてお金を稼ぐことは悪いことではないと思うので、僕は。だってやっぱさ、自分で本を作ってて思いますけれども、昔自費出版もやってきましたけど、それは自費出版をやりたくてやったケースって一回もないの。出版社とやりたかったけど、断られたとか、途中で空中分解とか結構あって。結果的に自費出版。で、その時に思ったのはさ、出すまではできるんだよ何とか。でも出しただけじゃまだこっちのことを断った出版社には負けてんだよ。そうじゃなくて出版社が提示してきた印税よりも儲かったときに勝ちなんだよ。そう思わないと良くないよね、やっぱ自己満足になっちゃうから、やっぱお前らが断ったおかげでこっちが出してより儲かったぜ!って言いたいわけ、僕としては。だから、そういう風に思ってくれたら色々とはっきりすると思うな。まあでもどうせそんな簡単にやりたいことで儲かったりしないから大丈夫ですよ。(会場笑い)つまりは、あまり考えなくても良いんじゃないかな。儲かってから考えれば良いことで。笑。


炎上をどこまで受け入れるべきなのか?

質問者その3:さっき話していた、いかに隠そうとしてもバレてしまう、いかに小さなコミュニティでもバレてしまうことは起こると思うんですけど。例えば「カメラを止めるな」もB級映画の狭いコミュニティだけど、拡散して、たくさんの映画館で上映するようになったというケースがありますが、それすごいことじゃないですか。でも狭いコミュニティじゃなきゃだめな危ないゾーンってあると思うんですねよね。例えば、グロが好きとか結構危ないし、キャバレーとかも危ないなと思ったんですよ。カメラを止めるなも元ネタがあってと原作者とのトラブルについての話もあったじゃないですか。大衆の目に触れることで、立場が危うくなるというデメリットもあると思うんですけど、そういうのも受け入れなきゃダメなんでしょうか。

都築:受け入れるってのはどういうこと?

質問者その3:誰かに何か言われる前提でやらなきゃいけない。だから炎上するからやめておこう?みたいなケースがあると思うのですが。



都築:でもそれを思ったら出さない方がいいですよね。人の目に触れるところに出すってことはその責任を取るってことだと僕は思いますよ。やっぱりさ、僕がグロやエロの展覧会みたいなのをやると、文句聞きますよ、もちろん。大体アツコバルーなんか松濤にありますからね、松濤のおばさんがやたら文句言って来たりするわけよ。18禁って書いてあるでしょって言ってんのに子どもが見たらどうするの、みたいなさ。そういうのあるし、これ下ネタでしょって言われることもあったりするけど、自分が知らないところでね。でもそういうのも全部ひっくるめて表現だからさ、本当に何かがネガティブなリアクションが心配だったら自分だけで作って人に見せなければ良いんだよ。だから、ね、肯定的な評価を受けたいし、ネガティブな評価は絶対やだっていうのはやっぱ調子良いよね。だけどネガティブな評価も受けてこそっていうか。例えば自分の本がさ、アマゾンで出ると、ね、それで褒めてくれる人はいますよ、星5とか。でも星1もあるわけよ。ね。それもさ文庫本を買ったがすぐばらけるとかさ。(会場笑い)それで星1とか言われてもね。それは極端だけど。笑。

でもやっぱね、最初珍日本紀行で木村伊兵衛賞取ったときに、ハガキが来て。でね、カメラというものはこんなに醜いものを撮るための機械ではありません、とか書いてあったの。でもさ、そういうネガティブな評価が次のやる気を生むんだよ。いつかこのジジイを納得させたいって思う、だから僕はネガティブな評価の方が自分の糧となるってと大げさですけれど、あの、勉強になるとかそんなことは言いませんよ。この野郎と思うことが次に進むと思っているので、やっぱりあれですね、下ネタでしょとか言われたら違うんだよって言い返さなきゃダメじゃん。喧嘩とかそういうことを恐れないようにしないと、人の目に触れさせるのはそもそもダメだなって思う。僕はそう思う。

飯沢:心強すぎる言葉をありがとうございます。

都築:でも嫌な奴はもっといるわけじゃん。やっぱりね。

質問者その3:でも時代的に理不尽に炎上になったりとか、本質とは違うところで、例えばさっきの金魚を自分で釣り上げるおじいさんみたいな芸を、例えば今YouTuberの人がやったときに、あぶないじゃないか、こどもが真似したらどうするんだみたいな、理不尽に盛り上がってしまうこととかあるじゃないですか。本質とちょっと違うところで盛り上がってしまうというか。そこら辺に対する怯えというか、恐怖というかは、発信する側にもあるのかなとは思う。

都築:そうですよね、でも炎上というものを怖がっちゃだめだと僕は思いますよ。炎上が嫌だったら、炎上したらTwitterやめればいいだけじゃん。本の差し止めまでにはならないよ、出版社が引いたら自費出版で出せばいいじゃない。そんなことで折れるんだったら大したことないんじゃない。本当に。だから小さい世界だけ見ていると、炎上されたら嫌だなとか、色々思うけどさ別にそこから離脱すればいいだけのことだからさ。だから大したことないんだよ。そんなTwitterでごちゃごちゃ言われたって、Twitterしなきゃいいんだもん。だってTwitterが自分の本を売ってくれるわけじゃないんだからさ、ねぇ。ネガティブな評価をつける奴が本を買ってくれるわけじゃないんだからさ。あの、昔ね、根本敬くんが言ってたんだけど、あの人ヤバイじゃないすか、無論。大丈夫?って話をよくするんだけど、でもいいんだよって、どっから出してくれなくなっても、俺の読者は、コアな読者は500人はいるって言うわけ。500人いれば本刷って、リアカー引っ張って売れば売れるからって言われて、まあそうだよなと思ったわけよ。だからさ炎上が嫌だったら炎上がない世界で勝負すればいいんじゃない?だから心配なんかないですよ、全然。



飯沢:何かを作って出すってシンプルな行為なんですけど、余計なことがすごく起き過ぎてしまって、曇りが起こってしまっている人が多くなってしまっているんじゃないかと思うんですけれど、でも究極なのは作りたいから出すっていうシンプルな想いなんじゃないかなと。頭使って考えて、何かあれば場所変えて、出し方変えて、続ければいいんだなと。

都築:そうですね。だから罵倒の言葉が激励だと思えば良いんですよ。罵倒は激励ですよ、いや本当に。そうやって作っている人っていっぱいいますから。バカじゃねえのって思われたら、コイツを見返す何かを作ればよいと思えばいいんですよ。

飯沢:怒る力は大事ですよね。

都築:そうですね、絶対そうですよ。じゃあ話し合いましょう、みたいなのは必要ないですから。喧嘩はした方がいいです。喧嘩するか、そいつの目の届かないところに行っちゃえば良いんですよ。あんまり忖度とかしない方がいいです。

飯沢:今日会場には学生さんが多いので、皆さん胸に都築さんの言葉を刻んで帰るのではないでしょうか。

都築:とりあえず就活とかやめろって話ですよ。

飯沢:4年生が特に多くて。

都築:なおさら辞めた方が良いですね。先週、某美術大学にトークに行ったんですけれど、研究室行ったらさ、就活のためのスーツ着こなしアンドメイク講座とかっていうのが貼ってあるわけ。美大でこれはお終いだろ!っていうさ。周りもかわいそうだと思うんですよ、今の20そこそこの子は僕の20代のときよりも遥かにプレッシャーは大きいと思うから、こんな同調圧力みたいなのあるのでかわいそうだなとは思うけれど、歯を食いしばってさ納得できなかったらやらないってことをしないと結局自分のためにならない気がするなぁ。



長年編集者として活躍を続ける都築氏の実体験から紡がれる言葉は、示唆に富み、説得力があるものでした。来年の開催では今回のトークイベントを反映させた意外な自主制作本が、ますます出てくることを期待します。


text:高岡謙太郎 / 飯沢未央
会場風景写真・作品写真: 市岡祐次郎


Profile

都築響一
1956年東京生まれ。ポパイ、ブルータス誌の編集を経て、全102巻の現代美術全集『アート・ランダム』(京都書院)を刊行。以来現代美術、建築、写真、デザインなどの分野での執筆・編集活動を続けている。93年『TOKYO STYLE』刊行(京都書院、のちちくま文庫)。96年刊行の『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、のちちくま文庫)で、第23回木村伊兵衛賞を受賞。その他『賃貸宇宙UNIVERSE forRENT』(ちくま文庫)、『現代美術場外乱闘』(洋泉社)『珍世界紀行ヨーロッパ編』『夜露死苦現代詩』『珍日本超老伝』(ちくま文庫)『ROADSIDE USA 珍世界紀行アメリカ編』(アスペクト)『東京スナック飲みある記』(ミリオン出版)『東京右半分』(筑摩書房)など著書多数。最新刊は『捨てられないTシャツ』(筑摩書房、2017年)。現在、個人で有料メールマガジン『ROADSIDERS’ weekly』を毎週水曜日に配信中。
http://www.roadsiders.com/

齋藤あきこ
フリーランスのライター/エディター/コーディネーター。比類なき「ゲーム帝国」で本名明かしの刑を受けた実績を持つ手負いの獣。
https://note.mu/akiko_saito

飯沢未央
アーティスト/会社員。時間と生命についての、哲学・科学・美学的リサーチと考察を背景として、電子デバイス、映像作品、空間インスタレーションなど、多彩な作品を制作してきた。 が、最近は本の制作に興味が移行。最新作は市販のチキンからDNAを取得し、元の鶏の性別を判定し、アーカイブした「the Male or Female」を発表。現在は生命の個体差、個性に着目し、次回作に向けてリサーチ中。TRANS BOOKSでは出展者とのコミュニケーションなど、イベント運営に伴う諸々な業務を担当。
http://iimio.com/

畑ユリエ
グラフィックデザイナー。美術関連の展覧会/教育普及/作品集などのアートディレクション・デザインを行う。TRANS BOOKSにおいても、グラフィックデザイン全般を担当。アートディレクション側からコンセプトを考え、毎年違うクリエイティブの提案を行う。
http://www.hatayurie.com/

萩原俊矢
プログラムとデザインの領域を横断的に活動しているウェブデザイナー/プログラマ。ウェブデザインやネットアートの分野を中心に企画・設計・ディレクション・実装・デザイン・運用など、制作にかかわる仕事を包括的におこなう。2015 年より多摩美術大学統合デザイン学科非常勤講師。 Cooked 、 flapper3 、 cbc-net 、 IDPW などいくつかの団体にも所属。TRANS BOOKSのウェブサイトの制作も担当。斬新なレスポンシブサイトが毎回話題を呼んでいる。
http://shunyahagiwara.com/


開催情報

「TRANS BOOKS」
https://transbooks.center/2018/
日程:2018年11月24日(土)、25日(日)
入場料:無料
オープン:11:00〜18:30
トークイベント:24日(土) 18:30〜

会場:TAM COWORKING TOKYO (神保町)
https://www.tam-tam.co.jp/coworking/
住所:〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3-28-9三東ビル1F

◎出展作家一覧(敬称略)
・阿児つばさ、雨宮庸介、飯沢未央、梅田哲也、九鬼みずほ、さわひらき、辰巳量平、西光祐輔、hyslom、船川翔司、堀尾寛太、松井美耶子、山本麻紀子、柳本牧紀(船先案内人)
・飯田竜太 (彫刻家・美術家)
・伊東友子+時里充(制作・執筆+アーティスト)
・UMISHIBAURA(パブリッシャー)
・edition.nord consultancy + poncotan w&g (本作りの相談業務+レーザープリント印刷・製本工房)
・olo(架空紙幣作家)
・齋藤祐平(古書店員)
・mmm(サンマロ)(解釈者)
・鹿(会社員)
・新津保建秀(写真家)
・stone(テキストエディタ)
・TADA+STUDIO PT.(Photographer+Design Studio)
・永田康祐(アーティスト)
・Hand Saw Press(リソグラフ印刷スタジオ)
・パーフェクトロン(アートユニット)
・hitode909(プログラマー)
・福永信+仲村健太郎(小説家+グラフィックデザイナー・ブックデザイナー)
・PROTOROOM(MetaMedia Collective)
・山中澪+池亜佐美(アニメーション作家)
・ROADSIDERS 都築響一(有料メールマガジン発行 / 編集者・写真家)
・youpy(プログラマ)
・渡邉朋也(美術家 / タレント)


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