インターネットアートの先駆者、ラファエル・ローゼンダールが生んだ世にも美しい「絵画」
続けてarinaです。CBCNETでもおなじみ、NY在住のアーティスト・ラファエル・ローゼンダール。現在、2月13日までギャラリーTSCAで個展を開催中。その新作「Somewhere」がすばらしかったので忘れないうちに覚え書き。
ラファエル・ローゼンダール | SomewhereTakuro Someya Contemporary Art
インターネットをキャンバスに、ウェブに公開した作品をドメインごと販売する活動で知られるラファエル。その表現領域はインスタレーションから俳句まで多岐にわたり、インターネットはもちろん、モダンアートから日本のグラフィックやゲームまで、どこまでも広い彼の知見にはいつも驚かされます。かっこいいなあ、と横目で見ていたラファエルでしたが、今回は「美術」や「絵画」を改めて考えるきっかけになりました。
とにかく、美しかった。
美しい思考。美しい景色。絵画から生まれる、美しい時間がそこにはあったのです。
レンチキュラーレンズシートを用いた大作絵画、新作6点を発表した今回の個展。この「レンチキュラー」というメディウムは、光をダイナミックに反射する性質を持つため、ウェブブラウザの「発光するディスプレイ」と似た質感をもつ体験を可能にします。この言葉、セミトラ田中さんがキュレーションした「光るグラフィック展」を思い出しますね(ラファエルも参加しておりました)。
さて、ギャラリーのサイトにもある通り、今回はラファエル特有の「色彩や明暗のコントラスト、様々なパターン、動きとインタラクションがその基盤面へと定着した絵画」。この作品の前をゆったり歩くと、目に見える「色」が無限に変化し、光の中に宿る何ものかと常に対峙することになるのです。
とらえどころのない「光」と「色」と「わたし」の相関関係。
と、書いてみて、いまふと「ゲーテとニュートンの色彩論の対立」が思い起こされました。
(また手前みそですが、)随分前に発行したSYNAPSEのフリーペーパー、第2弾のテーマが「光」で、「色彩科学のあゆみ ゲーテとニュートンの色彩論の対立から神経科学へ」という記事をメンバーの飯島和樹が執筆しています。
詩人であり科学者でもあったゲーテ。17世紀に色の性質を物理学的に解明したニュートンの光学理論(光は屈折率の違いによって7つの色光に分解されるという理論)から約100年後、ゲーテは真っ向からニュートンを批判し、自著『色彩論』において、(当時の)近代科学では記述できない「人間の感覚としての色」について言及しました。
(詳しくはゲーテ「色彩論」でググると色々出てきます)
「光線に色はない」と語ったニュートンによる光のスペクトル。赤・青・緑の三原色からあらゆる色が生み出されることを明らかにした。これに対し、詩人キーツは「ニュートンは虹の詩情を破壊した」と批判。
ゲーテによる光のスペクトル。光と闇の中間、両極が作用し合う「くもり」の中で色彩は成立するというのがゲーテの論。
ゲーテの批判は、あくまで心理的な、「内的な秩序」に重点を置くものだとみなされてきましたが、現代の神経科学では人間の脳内における「色の知覚」の謎が解明されつつあるといいます。(前述した飯島氏の記事をここに公開したい……)
さて話は飛びましたが、デジタル時代の「発光するディスプレイ」における「光」と「色の知覚」はどんな関係を結ぶのでしょうか。今回のラファエルの作品がすばらしいのは、この絵画と光の関係という古典的な主題を、現代のデジタル的思考と完璧に調和させ、新たな絵画体験へと昇華させていること。
「絵画が自己のイリュージョン性の限界から20世紀の抽象表現へ行き着き、リヒターによりシャイン(仮象)へ辿り着いたとして、ローゼンダールのようにデジタル表現の領域から、来世紀を向かえる絵画、あるいは彫刻や写真、または未だ見ぬ私たちのアートにとっての「これからの現実」が生まれてくることを期待してみてはどうでしょうか。」(ギャラリーのサイトより引用)
そう!!これはポスト・リヒターの境地に辿り着いたと言っても過言ではない!(はず!)
ゲルハルト・リヒターが自身の抽象絵画を複雑にデジタル加工してプリントした『New Strip Paintings』にも巨匠の圧倒的なフォースを感じましたが、アナログ/デジタルの境界なんて概念を悠々と飛び越え、「未来の絵画」を現前させてくれたラファエル。ここには、現代の「加速度的に変わり続ける風景の本質を反映」した、ユーモラスで美しい絵画空間が生まれている。この、あくまで表層的な「現象」のみを見せる軽快さに惚れ惚れします。
これはインターネットアートに端を発した彼だからこそ成し得た技であり、ウェブブラウザやインターネット環境そのものを「原風景」ととらえるデジタル時代の美しい思考がここから垣間見えてくるのです。このソフィスティケートされた感覚と表現は、流石のひと言。彼が「俳句」に興味を持ったのも、現実の景色を抽象化する「作法」みたいなものを直感的に感じ取っているのではないか、とも思ったりします。
さらに驚いたのは、LAのギャラリーSteve Turnerで開催中の個展では、コンピュータの起源であるとされる「織り機」を使って、ジャガード織りのタペストリー作品を発表しているんだとか。(これもまた美しい)
彼のメディウムへの探求は尽きることなく、今後もどんどんと洗練されていくことでしょう。これからがますます楽しみです。