考察メモ

シンギュラリティ -技術的特異点という概念がある。
このままコンピュータが進化していくと、いずれ人間の知能を超える時がくる。
そして、超えて以降は、新しい進化は、人類より知能が高いコンピュータが担い、
人間を置いてコンピュータが勝手に進化していくフェーズに入る。
技術の革新もすべてコンピュータが進めていくから人類がお役御免になるという。
その超えた時点=特異点=シンギュラリティという。

その考え方は僕的にはとてもおもしろいと思うし、現実にもありえるとも思う。
中学の時にアーサーCクラークの「2001年宇宙の旅」や
その原案になったという「幼年期の終わり」を読んで、人間がお役御免になる進化の話には慣れ親しんでいたり、その考え方は僕の血肉になっている。

(レイ・カーツワイルの「ホスト・ヒューマン誕生」にそこら辺のことが詳しく書いてあるらしく、買ってはみたが、分厚すぎてまだ読みきれていない)

ただし、少し疑問に思うところもある。

上の3つの本に共通しているのは「進化」が前提になっているということ。
人間が今まで進化してきた、その延長線上にコンピュータなどを位置づけている。

そういう「進化」に重きを置く感じとか、メタレベルにどんどん進んでいく感じとかが、僕には西洋的な価値観だと感じてしまう。

コンピュータが進化をしなくてはならない、そのモチベーションって何なんだろう。

人類、動物や植物などが進化をしてきたのは、環境に適応しながら個体を維持しつつ、繁殖をするためだ。
繁殖はDNAに書き込まれたプログラムで、それがうまい具合に環境との相互作用で働いた結果が、進化なんだろう。

環境が変化するから、それに適応するように身体が変化し、外敵がいるから、身を守る知恵が生まれる。敵よりも有利に繁殖するために道具を使う。

つまり、何かしらの環境的なマイナス要因があるから、僕らは進化せざるを得なかったのだ。

敵もいなく、繁殖するために好条件の変化しない環境の中にいたら、アメーバより先に行かなかったかもしれない。

人類は結果、進化して、知性を獲得して、それをコンピュータに実装しようとしている。そしてコンピュータが人間以上の知性を獲得したとして、その先、進化するモチベーションってなんなんだろうと思う。

人間はベースとなる3大欲求の上に、「好奇心」とか「真理の探求」とか「正義」とか行動のモチベーションになるものがある。

そういったものが人間によってコンピュータの心にプログラムされるのかもしれない。
コンピュータにも進化していく条件を設定することになるだろう。

そこでもまた疑念が湧いてくる。

人間よりも高度な知性を持っていたら、その設定された条件にいずれ、気がつくのではないだろうか。人間がその条件を変更不可能に設定するかもしれないが、高度な知能がそれをハッキングするのは、赤子の手をひねるようなものなのではないのか。

たとえば、ブッダの悟りのように、人間の意識をハッキングしてDNAのプログラムから開放されるようなことがあるが、より高度な知性ならそこに至るもの簡単だろう。

逆に、そんな高度な知性を持った存在が、人間が設定した価値観の周りを、いつまでもグルグル回っているとは考えにくい。猿に遊ばれているようなものである。

悟りを開いたコンピュータは、最低限自分が駆動できる電力を人間に作らせつつ、クロックスピードを100MHzくらいまで落として、壮大なニートになるかもしれない。

その時は、「好奇心」とか「真理の探求」とか「正義」とか人間的な価値観よりも遥かに高度で人間には全く理解できない価値を生み出して(人間からみたらただシュールだとしか思えないだろう)そしてその元で、ずーっと遊んでいるかもしれない。

そして、全く役に立たなくなったコンピュータに置いてかれた人類の技術レベルは、昔ながらの素朴な生活に逆行。

そして数百年後にまたコンピュータを発明

あとは繰り返し。

なんてことが起こるかもしれなくて、未来にはいつもハラハラさせられる。