3.11の震災の直後から九州に引っ越しした。

今まであんまりその事について話をしたりする機会もなかったし、
プライベートな理由なので率先して話すことも無かったけど、
一応書いておくのもいいかなと思いここに記しておく。

僕らが移動したことを知っている人は、
エキソニモは公私共にパートナーだし、ちょうど小さい子供がいるので、
九州に引っ越した理由は、原発の関係だろうと思っていると思う。
もちろん、それは大きなきっかけになってはいるけど、一番の理由じゃない。

震災の起きる前、年が明けて少し経った頃、
子供が2歳になる直前、相棒の赤岩が胸の痛みを訴えた。

もともと完璧主義で、エキソニモの展示の仕込みでもオープンの直前ギリギリまで僕以上に粘るし、
子供の世話に関しても、ここまでやる人はいないだろうという位、完璧にやる。

特に、子供が生まれてから、仕事は僕、育児は赤岩、と役割が分担されて、
子供が生まれる前は、僕はあんまり仕事に熱心ではなかったし、
そんなに儲かるわけでもないエキソニモの展示などの方に、時間をさいたり悠長にやっていたけど、
さすがに子供が生まれてからは、なんだかわからないけど、とにかく稼がねばと働いていた。

フリーで広告の企画の仕事をやっていたので、ちょくちょく出かけては打ち合わせ、打ち合わせ、と動いていた。
とはいっても、そんなの育児に比べたら全然楽だと思う。
なにせ育児は命を預っている仕事なので、手は抜けない。

年末にかけて僕が忙しくなったときに、子供がインフルエンザにかかったりして
負担が大きくなったのか、普段調子が悪くても相当じゃない限り表に出さない赤岩が、胸の痛みを訴えた。

赤岩の父親は元々心臓外科医で、いろいろと相談したりするうちに狭心症ではないかという話になった。
若い女性によく見られるが、原因がわからないタイプので、自律神経などの関係で、
睡眠時に発作が起こりやすいらしく、確かに夜寝ている時、昼寝している時などによく痛みを訴えていた。

心臓の病気ということで調べると、狭心症は進行すると心筋梗塞につながることがあり、そうなると命に関わる。15分以上の痛みがある場合は、すぐに病院に行け、など怖いことが書かれていたりする。

一日数回起きることもあったり、不規則に起こった。
打ち合わせに出かけていても、ずっと不安だった。
心筋梗塞が起きた時にどうするかなどをシミュレーションしたり、
夜寝ていても、ちょくちょく起きては、
暗がりの中で、じっと息をしているのを見て確認していた。
僕自身が生きた心地がしない日々が続いていた。

強い発作の時のためにニトログリセリンが処方され、
少しずつ発作も減ってきて、落ち着いてきたかなという矢先に
震災が起きた。

テレビで津波の中継を見ながら、ちょくちょく来る余震を感じつつ、
家からすぐの目黒通りは、深夜まで徒歩で帰宅する人が途絶えることなく、
スーパーからは水も食料もおむつも消え去り、
翌日には原発の1号機が爆発する映像が流れ、ますます異常事態へと突進してく。

その時は僕自身には東京から脱出するなんて発想はなかったけれど、
もし今以上のパニックが起きた時に、2歳前の子供をつれて動くことの困難を想像し始めた時に赤岩が、

「福岡の実家にしばらく帰ろうと思う」と言った。

東京生まれの自分にその発想はなく、すごい名案だと思った。

僕はその翌週も打ち合わせが何本かあり、さすがに流れるだろうとは思いつつ、
確認が取れるまでは離れられないということで東京に残り、
赤岩と子供だけを福岡へと送り出した。

そして、しばらくの間の仕事が無期延期になったことを確認して、僕も福岡に飛んだ。

福岡につくと、余震が全くないことに驚いた。

でも、風で窓がガタっとなるたびに身構える自分に気がつき、自分が思っている以上に地震によって無意識にストレスを受けていることを知った。

赤岩の実家が片付くまでと、ホテルに1人でいる間に、自分の故郷である東京がいま(もちろん東北とは全くレベルが違うとはいえ)被災しているという事実と、そして赤岩と子供、つまり家族がいて、それを自分が守らないといけないと言うことなど、1人になって冷静に考える時間ができた。

そもそも今までの生活の無理が赤岩の体調不良を引き起こしていた。その上に今後は震災の影響、原発という予測不能なストレスがのしかかってくる。それを押してまで東京にこだわる意味ってあるのだろうか。

人間は初めてのことが起きた時に、規範がないために、冷静な判断をすることができない。
僕は震災の直後に予定されていた打ち合わせが、どう考えてもあるはずないのに、その判断ができずに、しばらくその場で立ち往生していたことを思い出す。

いつもどおりに無理に振る舞う必要はないんじゃないか。
今は異常事態なんだから、1、2年くらい仕事とかどうでもいいから様子見てから考えてもいいんじゃないのか。

幸い、福岡には赤岩の両親がいて、ちょくちょく子供の面倒を見てくれる。
赤岩も自分の両親だから甘えられるし、それによって今までよりも、より楽になる。

現にこっちに来てから例の発作が起きていない。

2、3週間後、思い切って福岡に移動してみるのはどうかなと提案してみた。

赤岩は複雑な気持ちだったらしい。
自分が幼い頃に育った、若い頃にいろいろと苦い思い出もある街にまた戻ってくること。

そんな事もつゆ知らず、僕はワクワクしていた。
今まで関東以外に住んだことがなかったから、初めての知らない街で、どんな生活が始まるんだろうと。
(ホントにお気楽で申し訳ない。。。)

一つ問題があるとすれば、その時に設立計画中だったnuuo社のことだった。
これに関しては、さすがに無理だろうと、林くんに電話で相談すると「全然、問題ないでしょ」とものすごい軽い返事をもらい、ならば行くっしょーと勢いづいて引っ越してしまった。

今となっては実際には問題ないこともないけれど、この状況を逆手に取ってnubotが生み出されたし、それが今は次のビジネスにつながってきているのでなんともおもしろい結果ではある。

こっちへ来てから、赤岩の発作が殆どなくなった。初期は忙しい時に数回あったが、ここ2年近く起きていない。
そもそも全く予備知識がなかった福岡が、住んでみるとすごく環境がよいことを知り、特に子供が小さいと遊ぶ場所が沢山あって便利だ。

東京が、如何に住みにくい街であるかというのを初めて知ったし、逆に如何に文化が(そしてビジネスが)進んでいる街かというのを改めて知った。

今までずっと生まれ育った東京から離れているからこそ、見える景色もちょっと面白い。

インターネットがあれば、どこでも同じ、と言える時代ににギリギリのタイミングでなってきている今、その時代の摩擦ポイントこそが面白いんだと捉えて、新しいチャレンジとして楽しむのもありかなと思っている。