以下、SXSWに向かう飛行機の中で、考えてたことをザクザクと書いてみたものです(長い上にまとまってない)

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こないだICCでインターネットリアリティ研究会の久しぶり(1年ぶり)の座談会があった。[インターネット アート これから] 展から1年経ったということで、あれからの1年間、インターネットリアリティ的になにか変化があっただろうかということを考えていた。
それが意外に難しくて(しかも他の登壇者も難しかったみたい)1年まえに「インターネットの質感」という話をぶちあげてからのその先になかなか行けないような感じがしていた。

実はインターネットリアリティ的にはものすごく進んだ1年だったと思う。
スマートフォンの普及が決定的になり、日常生活の中にインターネットが入り込み、分け隔てられないほどにあらゆるシーンにネットが顔をのぞかせ、生活のあらゆるシーンがネット上に放出された。

それは、過去最大だし、過去最高記録を更新中という状況が、継続中だ。

つまり、いちいち言わなくてもインターネットリアリティは当たり前のものになり、当然質感は芽生え、それは現実のスピードのほうが言葉より早くなっている、という実感があった。
だから座談会は、リアルタイム・ウェブがより進み、Facebookの利用は進み、Google Hangoutでのビデオチャットも当たり前になり、Pokeがリアルライフを瞬時に切り取るという現状を “あえて” 振り返り確認するような話になっていたと思う。

ただ、座談会が終わって少しこのことについて考えていたのだけど、そこで一つ重要なことを忘れていたことに気がついた。座談会の段階ではあまり意識してなかったし、誰一人として触れなかったこととして「プッシュ通知」というのがあった。実はこの「プッシュ通知」がインターネット体験を劇的に変えてしまった1年(もしくはここ1~2数年)だったのではないだろうか。

iPhoneがOS5辺りになってからプッシュ通知の重要性が増してきていたのは気がついていた。通知センターが搭載されたことでよりプッシュ通知自体がプッシュされているような感じがする。通知センター自体はAndroidのステータスバーのパクリではあれ、やはり通知の重要さがどちらの陣営にも認識されているということだ。ただ、僕の中ではあまりにOSに近いレイヤーの機能だったために、座談会の時点では意識にのぼってこなかった。
が、インターネット体験を劇的に変えてしまった重大な変化だと言えるのではないだろうか。

とりあえずプッシュ通知は一旦置いておいて、座談会に話をもどす。

座談会では、みんなが2012年にブレイクしたGIFアニメなどの話をいろいろしながら、最後のほうでたどり着いた見地として「インターネットと身体性」というのがあった。
最後に重い腰を上げるように語りはじめた、ワタナベくんが引き合いに出したIDPWの「サンバ・パーティ」「K-RAW!」「インターネットヤミ市」での共通点として「インターネットと身体が優劣無く存在するような経験」について語っていた(詳しくは近日公開される?座談会アーカイブ参照)

そこで僕もハッとさせられた。

スマートフォンは常に身体に一番近いデバイスとして存在し、身体に寄り添う。おそらく服の次に肌に密着した存在として、ありとあらゆる生活の中にインターネットをもたらす。
そんな時代だからこそ、今までは身体と固定的な関係 ー つまりある端末の前に座った時に現れるのがインターネットだった ー という関係性から、もっと身体性を伴って現れてくるようになった。

それは当然の流れとして、前述の「サンバ」「K-RAW!」「ヤミ市」では、デバイスを離れてもインターネットが存在できることが証明された。
腕を失った人が、無いはずの腕を感覚できるように、デバイスがない場所でもインターネットが感覚される、という事なのかもしれない。
一番最初の座談会で僕が言った「オフラインでも頭のなかでTwitterのタイムラインが流れている感覚」というのにつながる話なのかもしれない。そして、この部分は、まだ自分の中でも整理できていないし、これからおもしろくなりそうな部分だと思うが、今は一旦置いておく。

「身体」といえば意識と無意識の問題がある。
人間の身体は意識によってコントロールされる領域と、無意識(自律神経)によってコントロールされる領域があり、前者は指先の動きだったり歩こうと思って歩くことや喋ろうと思って口を動かすようなことで、後者は意識しなくても動き続ける心臓だったり、まばたきだったりする。
座談会で谷口くんが「インターネットにあるものはすべて人間が意識的に作ったものだ」というようなことを言っていたのと接続できるかもしれないけど、インターネットを作ってきたのは意識だ。インターネットの上にあるものはすべて意識の世界から出てきたものだと言える。
しかし、インターネットに繋がるデバイスが肌身離さず持ち運ばれることによって、意識される時空だけじゃなく、無意識の世界とも接続性を持ってきていると思う。
それを橋渡すものの一つとして「プッシュ通知」があるのではないだろうか。
今までインターネットをやろうとする時は、必ずある端末の前に「意識的に」座りることでインターネットとの接続が始まった。
しかし、プッシュ通知でインターネットの側からアプローチされるようになると、インターネットをまったく意識していない瞬間に、接続が始まるということが起きる。

つまり、自分の中での意識と無意識のスイッチが切り替わる前に、通知音がなり、画面を見るなやインターネットとの接続が始まっているのだ。
また、常に持ち歩いているスマートフォンから定期的に位置情報がアップロードされたり、Nike Fuel Bandなども意識されない自分の活動がどんどんネットにアップロードされていく。

インターネットは始めようとして始めるものではなくなってきた。

そのことがインターネットリアリティを変えていくし、さらにリアリティを変えていく。
この1年ほどは特に、無意識の世界と接続される事のほうが、インターネットとのメインのアクセスポイントになってきた。
実はFacebookやGoogle Hangoutなどの個別のサービスの問題よりも、この「接続点」が変わってきたことが、世界のリアリティを塗り替えていく何かなんじゃないかと感じている。

そのうち、この無意識からのインプットが他の人の無意識からのインプットと自動的に接続されて、更に無意識のうちに提供されるようになってくるんじゃないだろうかと考えていて、はっと気がついた。

Facebookのタイムラインの表示される順番は、謎のアルゴリズムで調整されているけど、例えばお互いによく相手にLikeする間柄とか、相手のページにアクセスしただとか、そういう行動を裏で掌握されていて、それが反映されているんじゃないかという確信みたいなものがあるんだが、それも無意識のソーシャル化といえるかもしれない。

ただなんか、そういう行動心理学(?)的な部分は、自分はあまり興味がないというか、、
それよりは、無意識の中に他人のタイムラインが差し込まれることで、変わってくる世界観みたいな方が興味あるが。。

まとまらないけど一旦終わる。



そうだ!!
週末の関連イベントの宣伝を入れておくべきだったんだ。。。ホント駄目だな俺。。。

つうわけで、宣伝。今週末に上の記事とも深く関連するトークを2つやります。
1つめはICCでインターネットリアリティ研究会による座談会 [インターネット アート あれから つづき」
22日18:00より
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2013/Internet_Reality_02/event02/index_j.html
こちらはWeb中継のみで会場のオープンはありません。USTREAMで見られます。

あとは23日の19:00よりゲンロンカフェにて「夜の世界のネットアート」と題したトークをやります。
芸術系数の辻憲行さんとの対談です。
http://peatix.com/event/10850
が、各界からの参加表明があり、むしろ自分たちの話よりもみんなでワイワイ話ができたほうが有意義だなと思っています。
こちらは逆にUSTなし、現場のみ。現場のみの掛け値なしの話が出来ればいいなと思ってます。

以上、宣伝でした!