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NTTインタ-コミュニケーション・センター [ICC]にて、展覧会「ジョン・ウッド&ポール・ハリソン 説明しにくいこともある」が11月21日より開催される。

ジョン・ウッド&ポール・ハリソンは、1993年より英国を拠点に、パフォーマンスやアニメーション、建築的なセットやさまざまな装置などの要素を取り入れたヴィデオ作品を共同で制作している。その作品は非常にユニークで、近年では、英国内外で大規模な個展が開かれるなど、人気と評価を高めているアーティストだ。ICCでも「オープン・スペース 2012」展において6作品を展示し、多くの観客の人気を博した。

ほとんど固定アングルで撮影される、どこかおかしみを感じる、そこはかとないユーモアを感じさせる作品は、それゆえ「なにをやっているんだろう?」「なにが起こっているんだろう?」という関心をひきつけるものであり、しかも親しみやすいものでもある。

たとえば、日用品の数々を新たな視点からとらえ、もうひとつの新たな使用法があきらかにされたり、それによって引き起こされたものの様態の変化に気づかせたりなど、シンプルなアイデアから生み出される、ユーモラスで意外性や示唆に富んだ作品は、どこか実験のようであったり、決定的瞬間のようであったり、映画のワンシーンのようであったり、さまざまだ。

本展では、作品のテーマをパフォーマンス、アニメーション、物語、映画の四つに分類し、日本初公開となる作品を含む20作品によって展観する、日本で初めての大規模な個展となる。

11月21日には、近藤健一(森美術館キュレーター)を迎えたアーティスト・トークも予定されている。

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ジョン・ウッド&ポール・ハリソン『板』1993年


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ジョン・ウッド&ポール・ハリソン『二人三脚』1997年


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ジョン・ウッド&ポール・ハリソン『マイク/アンプ(ライヒさん,ごめんなさい)』2007年


Information

ジョン・ウッド&ポール・ハリソン
説明しにくいこともある

http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2015/JohnWOOD_and_PaulHARRISON/
index_j.html


会期:2015年11月21日(土)―2016年2月21日(日)
会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] ギャラリーA
開館時間:午前11時─午後6時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(月曜が祝日の場合翌日),年末年始(12/28-1/4),保守点検日(2/14)
入場料:一般・大学生500(400)円/高校生以下無料
*( )内は15名様以上の団体料金
主催:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
住所:〒163-1404 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階
アクセス:京王新線初台駅東口から徒歩2分

関連イヴェント
アーティスト・トーク ジョン・ウッド
日時:2015年11月21日(土)午後2時より
ゲスト:近藤健一(森美術館キュレーター)
司会:畠中実(ICC)
会場:ICC 4階 特設会場
定員:150名(当日先着順)
入場無料
日英逐次通訳つき


Profile

20151111_icc_john-wood_paul-harrison2 右:ジョン・ウッド:1969年香港生まれ
左:ポール・ハリソン:1966年英国ウルヴァーハンプトン生まれ

1989年にバース・カレッジで出会い、1993年から共同で作品を制作。シングル・チャンネルのヴィデオ作品、マルチ・スクリーンのヴィデオ・インスタレーション、印刷物、ドローイング、彫刻など多彩な形態の作品を発表し、それぞれで高度な美学的探求と実存主義的なコメディを融合させている。彼らの簡潔で気の利いた作品では、彼ら自身が行なうアクション、静止または動作するさまざまな小道具、またはその双方のコンビネーションが登場し、アートの制作や日々の生活に伴う喜びと苦しみを表現している。ヴィデオは厳密な内在的論理に従っており、繰り広げられるアクションは作品のもつ時間と直接関連がある。この「論理的世界」のなかでは、これといった理由もなくアクションが起こり、環境とその中にいるものとのあいだに緊張状態が生まれ、遊びが促され、作品への影響は意図的に混ぜ合わされる。その多くが批評家トム・ラボックによって「彫刻的しくじり」と称された、常に成功するわけではない動きと素材の実験において、ウッド&ハリソンは多くの発明、繊細なドタバタ喜劇、そしてちょっとした陽気なメランコリーを使って、あらゆる創造行為の裏にあるひらめきと、それをもたらした汗(努力)——そしてときには少しの絶望も——を露にする。