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Fresh milk, Blue screens
MILK ON THE EDGE, Exonemo @ hpgrp Gallery New York

June 22, 2017(Thu)| Article by Chris Romero

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先日会期が終了したエキソニモによるアメリカ・ニューヨークでの初めてとなる個展「Milk on the Egde」。この独特のタイトルは彼らがニューヨークで牛乳を初めて購入した経験から生まれたものだ。スーパーで牛乳を買い試しに飲んでみたとき、少し不思議な味がしたが彼らはそれが単にアメリカの牛乳の味なのか不確かだった。そこで大家さんに確認のため飲んでもらったところ、「on the edge!” (ギリギリだね!)」 と。

新しいものと腐ったものとの間のミルクは、現実と仮想、物理とデジタルのあいまいな領域を表すエキソニモの展示のアナロジーとなった。この展覧会では、
Body Paint
EOF
A Sunday afternoon
という3つのシリーズ作品が展示されている。これらの作品を通じて、エキソニモは我々のデジタル世界を捉え直すためのメディアとしてスクリーンを再定義、再想像し、そして生き返らせている。エッジ(端)やフレーム(枠)の概念、そしてそれらが我々にとって何を意味するのか、ということに作品全体を通して探究している。

BODY PAINT (2014) / HEAVY BODY PAINT (2016)


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我々が認識している世界ではリアルとバーチャルの境界線は消去され続けている。
Body Paint
シリーズは、この消去によって形成された新しい領域についてコメントしている。このシリーズは、塗装されたスクリーンの色と同じ色に塗られた人物または物体のビデオを再生するLCDスクリーンで構成されている。

我々は腐りかけたミルクを飲んでは良くないものだと判断することが出来る。それが腹痛を与えることを知っているので、飲む誘惑を避けることが出来る。それに比べて、我々は技術的な依存へのデメリットに疑問を呈することはめったにない。デジタルの世界にログインするとリアルとフェイクの断層線を無視してしまう。
もちろんこのシリーズはアンチ・テクノロジーということではない。むしろ、その逆である。我々の身体がテクノロジーと併合していくことに焦点を当てていくことで、エキソニモは2つの世界の間にある種の精神的な調和やバランスを見つけることを試みているのだ。

'Interrogation III', lithograph and silkscreen on Sommerset paper by John Baldessari, 1988, museum collection
John Baldessari
via Wikipedia
このシリーズは私にコンセプチャル・アーティスト、ジョン・バルデッサリの作品を思い出させる。彼の作品では写真に写っている人物の顔を明るい色で塗りつぶしている。バルデッサリは、普段は無視してしまう画像の詳細に視聴者の焦点をシフトさせている。
Body Paint
では、同様の効果が別のアプローチによって引き起こされている。エキソニモはスクリーンを塗りつぶすことによって、フィジカルなハードウェアと動画を融合させている。このシリーズは、バルデッサリの作品同様に、我々がイメージをどのようにして「見ている」のかを問うものである。
Body Paint
では、ハードウェアであるスクリーンとそこに映し出されているイメージの両方があることでペインティングとして成立している。我々がスクリーン、もしくはその上のコンテンツがどうあるべきかという解釈を混乱させ、歪ませているのだ。




201703 EOF (2017) // 201704 EOF (2017)


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エキソニモの最新シリーズ
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では、心理的、生理的、感情的な観点からスクリーンが我々に及ぼす影響を探っている。このシリーズでは、スクリーンの背面に別のタイプの光をスクリーンの後ろの壁に投影するLEDライトが付いており、人工的な光を投影している。

exonemo_milkontheedge_06小さいほうの作品
201703 EOF
では色の色相が変化するようになっている。放射する光は、画面の枠に焦点を向け、その薄い枠は、リアルとデジタルを分断している。作品をどの角度で見るかに応じて、画面上の光のトーンは変化する。したがって、スクリーンからの光は我々の意思によって変化するが、スクリーンの後ろからの光は常に一定を保っている。この振る舞いが作品のコントラストを表している。このシリーズでは、人工的にシミュレートされた光と、物理的な世界で投影された光を見ることになる、そのパラレル的な状況は大きな
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作品でより顕著だ。

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では様々なサイズの9つのスクリーンがひとつの集合体としてマウントされている。作品をよく見ると、各画面が異なる色合いの青を放っていることが認識できるが、全体として光の壁を形成している。ブルースクリーンは、しばしば「死の青いスクリーン」と呼ばれ、もはや動作しないマシン、欠陥のあるハードウェアのシンボルでもある。興味深いことに、科学者たちは、青い光(ブルーライト)は人間の目に有害であると言われ、また青い光には穏やかで磁気的な性質があることも知られている。

Electronic_Superhighway_by_Nam_June_Paik
Electronic Superhighway
via wikipedia
この作品は私にナム・ジュン・パイクの歴史的な作品 「」 を思い出させる、ただエキソニモのメッセージは若干違うような気がしている。
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はチャーミングではあるが、何らかの警告の感覚もあるのだ。スクリーンからある程度の距離を保たなければ、我々はその光の中を彷徨ってしまう。エキソニモはこのシリーズは「No Information Superhighway」のようなものだ、と説明してくれた。単に暖かい光を放ち、そこにはMemeやデータ、3Dエフェクトなどは存在しない、だが
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に目を向けずにはいられないのだ。


A Sunday afternoon (2017)


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A Sunday afternoon
シリーズを初めて見たとき、私はGoogleのイメージ検索の結果ページを思い出した。私のコンピュータのように速度が遅い場合、Googleは画像を適切に読み込むのに数秒かかる。その短い時間の間、画像検索の結果は長方形の色のブロックが表示されるのだ。ただ、
A Sunday afternoon
はこの事象について言及してるわけではなく、デジタルのイメージを我々がどのように見ているかについて焦点を当てているのだ。この作品では、塗料で全体が覆わられた幾つかのサイズのスクリーンが、ジョルジュ・スーラの有名な絵画「」の色彩構図に合わせて配置されている。我々は普段、スクリーンを見るときに動いているイメージが提示されることを期待している。テクスチャがなく、できるだけフラットであり、永遠に動いてくれるということを無意識に期待している。エキソニモの
A Sunday afternoon
は明らかにそうではない。

スクリーンはペンキでたっぷりと塗り潰されており、アクリル絵の具のブラシュストロークやテクスチャーも見ることができる。エキソニモにそれを指摘されるまで気づかなかったが、奇妙なことにこれらのスクリーンはコンセントに繋がっているのだ。スクリーンに何か流れてるの?と聞いてみたが、彼らは単に「わからない」とだけ答えた。我々はパソコンで画像を見た時、それらが海の地下を走るケーブルに繋がっていることをどれぐらい意識することがあるだろうか。これは
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と同じような感覚を覚える。我々がデバイスの光の中に迷い込んだ時、デバイスたちの本来の姿を忘れてしまう。それらが壁に掛かっていたり、手のひらにある長方形であることを。このように、エキソニモのスクリーンへのペインティングは分断へのある種の不安を提示している。

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A Sunday Afternoon on the Island of La Grande Jatte
via Wikipedia
この作品のもうひとつの要素としては、ジョルジュ・スーラの
A Sunday Afternoon
と同様に「ポインティリズム(点描)」にある。ここではそのアートのジャンルを現代に持ち込んでいる。各スクリーンは構図の中のピクセルとして機能している。この技法自体はもともと現実世界を美化し、ロマンチックにするものであり、現実の見え方からの逃避として用いられていた。ピクセルという概念が現在もあるからか、ポインティリズムは今日でも有効である。しかしながら、テクノロジーの世界では高い解像度を提供し続けることにより、リアルな世界をより忠実に再現するためにピクセルを利用しているようにみえるし、さらには知覚的な体験や3D映画、VR、AIなど、よりリアルな体験に向けて進んでいる。そこで皮肉なのは、エキソニモが選択した
A Sunday Afternoon
という絵画では、人々が自分の携帯電話を見下ろしてるのではなく、のどかな自然の中で何かに視線を向けているところだ。エキソニモはスクリーンを塗りつぶすことによって、我々の推測や期待を混乱させ、我々が抱くテクノロジーへの魅惑を一時的に中断させている。




エキソニモは頻繁に使用する手法を再発明する。インターネットを駆使し、壮大なインスタレーションも作り、インターネットがテーマのフリーマーケットもオーガナイズしている。
Milk On The Edge
は以前と似たような題材に取り組んでいるが新たな視点も存在している。このアーティスト・デュオは現在は米国で生活しており、彼らが新たに感じる境界(Border)、それが地理的、技術的、物理的またはメタファー的なものであろうと、考察してるように思える。今後もアートを取り巻く現代的な課題やデジタルカルチャーに関わるアイデンティティーに対して、フレッシュであり鋭く切り込む作品を作るべく、エキソニモのモノゴトの捉え方は更に進化していくだろう。


Article by Chris Romero
Translation by Yosuke Kurita

Info


milkontheedgeexonemo “Milk on the Edge”
hpgrp gallery New York
May 5th – June 10th, 2017
http://hpgrpgallery.com/





クリス・ロメロ
現代アートとデジタルカルチャーに関心を持つキュレーター、ライター、アーティスト。キュレーション、アーカイビング、ビデオ、写真、イラストの要素をさまざまな領域にわたるプロジェクトに取り入れている。そして、何がアートであり、何がアートではないのかといった厳密な概念を壊すコラボレーション的な活動を行なっている。新進のアーティストとの取り組みや、一風変わった、これまでにはないプロジェクトの製作、文化的、地理的な交流の開拓などに特に関心が高い。今後のプロジェクトには、国立近現代美術館でのソウルの若手研究者育成活用事業の促進、プロビデンス市のロードアイランドカレッジでのエキシビションForever Forneverの開催、そして、the Wrong Biennialのためのオンラインエキシビションのキュレーションなどが含まれる。
http://www.romerochris.com/
@cromeromero


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