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新津保 建秀『\風景+』を考察する Vol.2

February 5, 2013(Tue)| Text by Arina Tsukada



代官山ヒルサイドテラスで開催された写真家・新津保建秀の個展『\風景+』をめぐり、現在の写真やデジタル環境のあり方を考察するトークレポート Vol.2。後半は美術手帖編集長の岩渕貞哉とドミニク・チェンのトークに始まり、写真やデジタル環境から見える現在のあり方を考察する。



「美術手帖」編集長・岩渕貞哉、『写真2.0』から見出す新たな写真の文脈



岩渕貞哉
—「美術手帖」2012年8月号『写真2.0』は、そのタイトルが示す通り、写真の新たな地平を示す挑戦的な特集だった。本特集には新津保の『\風景』も選出され、池上高志、美学研究者の星野太による評と作品画像が掲載された。

岩渕:これまでの写真が、いわゆるストレート・フォトグラフィーやスナップ写真に代表されるような「世界のリアルを切り取る」ことを主旨としていた一方、写真のイメージが世の中に溢れる現在において、写真を受容する私たちの感覚は確実に変化しています。写真というメディアを巡るプラットフォーム自体が更新されるなか、世界に張り巡らされたネットワーク環境下で写真を扱っている作家を集めることで、新たな現代写真の文脈が見出せるのではないかとの仮説のもとに組み立てたのが『写真2.0』特集です。

トーマス・ルフは、カメラを使わずに写真作品を生み出す代表的な作家のひとりです。購入したNASAの画像データを加工して作る美術写真に始まり、Web上で集めた画像データを圧縮率の高い画像形式に変換した『jpeg』シリーズ、日本のアニメ画像を何十枚も重ねて抽象的なイメージを表出させた『Substrat』や、ウェブから取ったポルノ画像を使った『Nude』など、現代の写真を取り巻く状況を批評的なアプローチで読み解いています。これは印象派の画家たちが外光のもとで独自の手法を生み出したように、現代的なデジタル環境下が生んだ技法のひとつであり、ある意味で極めて絵画的な表現でもあると思います。同様に、アンドレアス・グルスキーはNASAの衛星画像を選び出し、まるで中世の世界地図のような、神の視点から見た地上を写真で表現しています。そのほか、東京都現代美術館で個展を開催したトーマス・デマンドも重要な写真家のひとりですね。

一方、日本からは松江泰治。彼は過去十数年にわたり世界を旅して撮影した膨大なデジタルデータからその都度、現像するように写真を作品化していきます。これは新津保さんの本展も膨大なデジタルデータから作品を抽出してくるという点では近いものがありますね。現在、カメラの機能の発達によって、いわゆる「良い写真」がいくらでも撮れてしまう時代にあって、写真家を評価するポイントは非常に揺らいできている。だからこそ、こうした写真を取り巻く環境に体する批評性を重視する写真が増えているのだと思います。

新津保:『\風景』は賛否両論ありますね。写真集はこれまでの、いくつかの恊働作業の過程が収斂して完成していった気がしています。
いわゆる写真の業界ではあまり反応が良くない一方、写真集のなかでの問題提起が、予想もしなかったジャンルの人たちから支持があり驚きました。

岩渕:アートも然り、どのジャンルにおいても、デジタル/ネットワークは大きなトピックとして挙がる問題のひとつです。写真が生まれたとき絵画の状況が一変したのと同様に、写真に次いで「リアル」を表現するメディアといえるコンピューターの登場によって、これまでの写真の価値が一変する時期が訪れているように思います。


ドミニク・チェン、膨大な写真が溢れる中で写真家は何を提示するのか?



ドミニク・チェン
新津保:今回、ドミニクさんに登壇頂いた理由に、以前読んで感銘を受けた、雑誌「10+1」に寄稿されたドミニクさんのテキスト(*参照)があります。そこには現在を取り巻く膨大な情報やデジタル環境が、私たちにとって「第2の自然」になっているのではないかというくだりがありました。ちょうど、私達をとりまくネットワーク上の情報の流れはある種の風景なのではないかと考えていたときだったので、大きく勇気つけられました。

ドミニク:現在、インスタグラム、Twitter、Facebookなどのソーシャルメディアでとてつもない量の写真が消費されています。それらは検索可能で、ものによっては自由な二次使用も可能になっている中、写真と私たちの関係は二極化していると思います。日々ネットの中で「ぐっとくる」写真が増える一方、いい写真がありふれて感覚的に麻痺してくる。そうした中で、新津保さんはあえて意味を削ぎ落とし、物語性すらも投影しづらい形で写真を提示している。非常に現在的な批評性を持っている作品だと思いました。
もうひとつ、クリエイティブ・コモンズ(CC)の活動に関して話すと、flickrだけで2億枚以上の写真が、CCライセンスが付けられ、オープンな二次利用が可能な形で公開されています。ここではブログやTwitterなどでひとの文章を引用して使うように、写真というものがコミュニケーションのために使われる言葉のような伝達ツールになっている。自由に組み合わせて使うことのできる、一種の文化資源と言えるかもしれません。
ただ、写真が非常に身近な表現手段になっている反面、アートの存在意義を考えると、何かの対象へのソリューションを前提とするデザイン的な手法とは決定的に違うところもあります。 人間が一生かかっても見切ることのできない量の写真が存在している、果たしてこうした状況で写真家は何を撮っていくのかが問いかけられているように思います。


「決定的瞬間」信仰から逃れて


新津保:僕自身は、漢字をじっと見つめるとそれが何だかわからなくなるゲシュタルト崩壊のような作品が作れたらいいなと思っていて。言葉の連なりや、建築空間とか、始めも終わりもない分節化が難しいものをフレーミングしていくことで立ち上がる感覚が作品化できたらと思っています。ある種の音楽にもあるけど。

ドミニク:いま面白いテクノロジーの兆候がいくつかあるんですが、そのひとつに被験者にある映像を見せて脳波を検知し、その脳波から映像を再構成するという実験があります。この技術を使えば、夢の世界を再現することができるだろうとも言われていて、色々な手法が試されています。今後ますます個々人の視覚情報がネットで共有されるようになってくれば、いま目の前で観ているものや風景もリアルタイムで他者とつながり、自他の経験の境界が曖昧になってくるといった状況が到来するのではないかと考えています。

四方:「撮る」という行為以外に、既存の画像から選択したり、新津保さんのようにスクリーンショットをキャプチャするなど、カメラを通さない写真が始まっている。これまで写真はファインダーを通した先の対象を主としていたけれど、それだけでは収まらない表現が次々と生まれていると思います。かえって一般の人の方が「決定的瞬間」を捉えることに意識的になっているのかもしれません。

新津保:先日、amanaという会社でマグナム前会長のピータ―・マローさんという写真家と対談をしたときに、彼は「『決定的瞬間』の信仰に疲れた」と話していて、全く違うタイプの写真を見せてくれたんですが、マグナムの中の人でもそういうことを言う人がいるのかと驚きました。

岩渕:写真とはそもそも、添えられたキャプションひとつで見え方が変わるように、写真それ自体では意味を決定できないという揺らぎを持っています。その意味では、誰がいつ何を目的に撮ったかもわからないような写真こそに、写真の本質が表れているとも言えますね。

新津保:マグナムはよく個々の写真家のキャラクターが語られることが多いですが、すべてを包含したアーカイブ自体が存在意義なのだろうと思いました。



ランドスケープからデータスケープへ



四方幸子
岩渕:アーカイブといえば、篠山紀信さんが先頃、東京オペラシティ アートギャラリーで個展をしました。今回の大規模個展は、彼が初めて美術館という美術の制度のもとで作品をみせたことが話題となりましたが、その膨大な写真の記録を浴びるように見ていくと、日本の時代精神こそが写されているという感覚に襲われます。今日、篠山さんが美術館で個展をおこないそれが評価されているという事実は、美術の世界で写真のアーカイブの力を評価する基準が生まれているように思います。

四方:以前から、写真をアーカイブとして見た時に新たに見えてくるものがあると新津保さんは言っていましたね。新津保さんというフィルターを通して、アーカイブの中から何かが見えてくる。たとえばアイドルの写真にしても、別の世界から見ているような視線があるように感じます。

新津保:近年の芸能の現場とネットでのコミュニティの関係性に興味をもったとき、ももいろクローバー(現ももいろクローバーZ)というアイドルグループのマネージャーさんと知り合い、彼女たちをブレイク前の2009年頃から2012年にかけて定点的に撮らせていただく機会がありました。その過程で、たとえばアイドルが絶対載らないような雑誌やWeb媒体、JRの駅構内のポスターや、カルチャー誌などにこつ然とメンバーの一人が載ると、ファンの人の間ではさまざまな読み解きが始まります。そうしたときマニアックなファンの人が撮影者である僕の方をネット上で追跡し始めたりして、こちらがネット越しに監視されているような奇妙なできごとがありました。このときキャプチャした画像のアーカイブにみられた視線の転倒感とリアルタイム感はすごく興味深かったです。

ドミニク:写真は選択によって様々な見え方を作ることができますね。例えば、篠山さんの写真のアーカイブを新津保さんが選択するとしたら、やっぱり新津保さんなりの見え方になる。以前、ある美術系の大学でflickrを使ってCCライセンスの写真だけで写真集を作る授業をしたんですが、面白いものがけっこう出てきて、もはや写真を撮らなくても作品を作ることのできる可能性を益々感じました。

新津保:写真集の冒頭にも載せたGoogle Mapsの「不審者情報マップ」を見つけてキャプチャしたとき、これは現在の「風景写真」だと思ったんです。ある地域の地図上に、誰かが不審者ともわからぬ人を発見した場所がマッピングされている。ヘンな写真だと思いましたね。星野さんも書かれていましたが複数の観察者の視線が多層化し、可視化されていることにはっとしたところがありました。

四方:私はよく「データスケープ」という言葉を使うのですが、まさにランドスケープからデータスケープへの変化ですよね。まなざしが錯綜する、多チャンネル的な世界。ランドスケープよりも更に動的な感じがしますね。
また、クリエイティブ・コモンズにもあるようなネット上にアップされた写真は、他者が介在することを前提としている、または他者が見て、様々な形で編集されることを前提としないと写真が成立しないとも言えると思います。


近代の「個」を超えて、偶発的に生まれるもの


四方:新津保さんにとって「風景を記述する」とは、記述が人間の主体性だけでなく、アルゴリズムを介して自動的に行われネットワーク化されている現在を踏まえた上で、操作し選択し提示することなのかと思います。

新津保:たとえば大企業の広告案件の撮影の現場で、フィルムカメラでの撮影はある意味ブラックボックスで行われていたのに対して、デジタルカメラでの撮影ではすべてモニター上でクライアント始めほかのスタッフとリアルタイムに共有されてしまう。撮るそばから他者の意見が介入してきて「撮っている自分」や「見ている自分」そのものが希薄になってくるんです。
そうした環境で撮影者の意味が変わってきている現状が影響しているのかもしれません。

四方:「風景」をフレーミングできるものから無効化するという試みでもありますね。

新津保:誰かとの共同作業では、どこからどこまでが自分の作品なのかと思うこともあります。従来の「個」と、それが融解する境目に立ち上がるものに興味があります。

ドミニク:現状の作家性のあり方は、未だ作家ひとりが責任を追う仕組みなっていますが、既にオープンなものづくりは至るところで始まっています。たとえば、wikipediaは恊働制作(peer-production)の最たる例ですが、「履歴」のページを見ると、数十から場合によっては数百人もの人々がどのような記述をしていったかの痕跡を見ることができる。完成に至るまでのプロセスが、クローズドな場所から、オープンな場所へと明るみに出てきています。

岩渕:ただ、美術史や美術という制度の中では、まだ作家性は十分に生きています。 いまのところ、作品の創造性を担保する個人なりグループなりの固有名がないと上手くいかないでしょうね。

ドミニク:確かに、不特定多数のクリエイティブは誰がどう作ったかという起源を問うのは難しいですね。

岩渕:しかし、現在の社会で進行している個が融解していく状況を捉えて、美術史を批評的に更新していくことはできるのではないでしょうか。例えば、アウトサイダーアートをアーティストが批評的に取り上げることで、美術史の文脈の中に登録されたように、こうした匿名のクリエイティブも歴史に残っていくように思います。

新津保:そうですね。


質問者から:展覧会を拝見して、謎めいた印象を受けました。デスクトップの画面も新津保さんが意図的にキャプチャされたものだと思いますが、写真家として気持ちよさを感じる感覚はどこにあるのでしょうか?

新津保:自分の想定範囲外のところで撮れたものが見えたときです。期せずして出来てしまったもの、予想を超えた何かが立ち上がってきたときに達成感があります。

四方:まだまだ話し足りないことも多いですが、これにてトークを終えたいと思います。みなさま、本日はありがとうございました。



Text by Arina Tsukada

*参照: 2007.09.30: ドミニク・チェン:「ネット公正論─データの逆襲…1 :プロクロ ニスト・マニフェステーション」, INAX出版『10+1』no.48, 巻頭連載

http://nae-lab.org/~dominick/archives/derive/2008/01/02/prochronism_netgerechtigkeit_.php

Information

新津保 建秀 個展「\風景+」
http://shintsubo.clubhillside.jp/
2012年12月18日(火)– 2013年1月14日(月・祝)
年末年始(12月28日–1月7日)休
11:00–19:00
ヒルサイドフォーラム(代官山ヒルサイドテラスF棟)
http://www.hillsideterrace.com/access/
入場無料

「風景を記述する試み」
12月19日(水)19:30-21:30
出演:ドミニク・チェン(株式会社ディヴィデュアル共同創業者)
   岩渕貞哉(『美術手帖』編集長)
   新津保建秀
司会:四方幸子
会場:ヒルサイドフォーラム(定員70名)
主催:クラブヒルサイド



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http://bookwalker.jp/pc/detail/0594884a-84f9-4436-a81c-6853b6366795/



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著者:新津保建秀
希望小売価格:735 円 (税込)
グラフィック:田中良治 (Semitransparent Design)
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http://bookwalker.jp/pc/detail/c595ccb6-6fd9-4c08-9b71-2f361eabce92/


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