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ICC×新国立劇場 合同企画 スペシャル・トーク 高谷史郎×高木正勝 『明るい部屋』をめぐって 映像/記憶/音楽

December 4, 2012(Tue)|



2012年12月7日から新国立劇場にてパフォーマンス作品《明るい部屋》を東京初演する高谷史郎と、同劇場にて森山開次のダンス作品《曼荼羅の宇宙》で音楽を担当、演奏を行なった高木正勝によるスペシャル・トークが行われた。(11月17日 於ICC)CBCNETでは、スペシャル・トークの後にバックステージで行われたトークの模様をお届けする。

写真提供:
NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
新国立劇場(「明るい部屋」公演写真)



高谷史郎(ダムタイプ)「明るい部屋」
撮影:福永一夫


「明るい部屋」
ロラン・バルトによる同名の写真論「明るい部屋」へのオマージュでもある本作は、観客の前にバルトが示唆した「かつて存在したもの」(そしてその「死」)を突きつける「写真」というものの存在、それが人に強いる「記憶」に関する重層的なイメージを顕現させる。また「明るい部屋」という言葉は、風景を手元の紙の上に映し出すために画家が用いた光学装置カメラ・ルシダも併せて意味する。高谷史郎氏、初のソロ監督作品(2008年発表)。


前段の話(スペシャル・トークの模様は後日こちらで公開予定)
ICC畠中氏の司会ではじまったトークは「明るい部屋」の制作話から、それぞれの映像・音楽・記憶との関わりへ。「音楽をもらって、はじめて映像に時間軸ができる」という高谷氏と「自分の音楽に映像をつけたことは一度もない、音と映像は別々につくる」という高木氏の意見交換は、興味深い内容へと発展した。
また、トークの途中で浮上した「物語」というテーマについては、それぞれのパースペクティブから見た「物語」の概念が交錯し熱をおびた。「僕は自分の作品に物語性があると言われてもいい」という高木氏と、「作品を大きなひとつの物語としてまとめるのは僕のつくり方ではない。ライブで上演する中に幾つもの物語がある」という高谷氏。公開トークの場ではここまでで一旦話が終わったが、その後のトークでは、さらに深い段階へと話が進んだ。


映像/記憶/音楽をめぐる第二章
公開トークの後に交わされた、さらなるスピンオフトーク。



明るい部屋、どこから作品は生まれるのか?


高谷史郎(ダムタイプ)「明るい部屋」
撮影:福永一夫


——–今作品の着想はどのようなことから?

高谷:まずあったのは、プロセニアム(客席からみて舞台を額縁のように区切る構造)でない作品を作ろうということからです。ダムタイプの今迄の作品(「pH」など)でも、フリースペースでインスタレーションのようにやってきて面白かったので。

早い段階で決まっていたのは空間構成ですね。天井にスクリーン、鏡のように両側に客席と床に二脚のソファというイメージが、はっきりと僕の中にあったんです。そこから、普通の部屋にあるようなスタンドやソファーを使って空間を変えていけないだろうか?と発想し、スタンドを16本配置して1列にしたりグリッドにしたり、という具体的なアイデアを構想して、それらを演出用のグラフに落としこむという作業です。その制作の課程で、(ダムタイプの)メンバーと話しあってアイデアを加えていきました。タイトルは後から決まったものです。

——–なぜプロセニアムでない作品を作りたいと思ったのでしょうか?
いわゆる通常の劇場のスペースは、舞台の中心を画面のように見立てて、観客全員にフラットに音とビジュアルを届ける、というシステムで出来ている訳ですが、観客の中には、右側のスピーカーの音しか聞こえないという経験をする人も居ます。一体それは本当にフラットなのか?という疑問がありました。

例えば「LIFE – fluid, invisible, inaudible …」のインスタレーションでは、会場の中心に立っている人と、その隣にいる人が違う体験をしていて、隣の音は隣の音として混ざって聞こえるけれども、どの人もセンターになりうるということを試みていた。一面性ではない、多面的に見られる作品ですね。それで「明るい部屋」では1つのスクリーンにセットでスピーカーを置き、それぞれを制御できるようにしました。それが空間構成の始まりですね。



高木:壁面にスクリーンがある場合には基本的に横のアングルを使いますが、天井の場合はそれが変わりますか?

高谷:うん、それは関係ありますよ。基本的には空や水面や衛星写真、地図など、平面的に見る素材を使っています。上から撮った映像を天井に映すこともあります。その場合は、見られている関係が入れ子になっている感覚です。上下が逆でも、整合性が取れていないわけではない。そういう意味では、映像を置くことで、ルールが出来るのが好きなんです。例えば、床に置けば床のルールが出て来るし、奥に置けば奥のルールができる。僕はルールがないと映像が創れないところがありますね。

畠中:振り付けについてはいかがでしょうか。例えば床にグリッドがあってスタンドを並び変えるみたいなところがありますよね。それをルールに基づいてやっていくことがある種、振り付けになっていくのですか?

高谷:そうです、ゲームですよね。「明るい部屋」は暗転がなく、空間の印象が変わらないので、障害物でルールを変えていくしかないと思ったんです。それで明かりの点灯が可能なスタンドを使いました。スタンドの灯りが赤くなる演出があるんですが、それは雨の波紋の中から写真が出てくるシーンが暗室で現像しているように見えるので、そこから制作スタッフが出したアイデアです。そんな風に、しりとりゲームのように出てくることもあります。



坂本龍一+高谷史郎《LIFE – fluid, invisible, inaudible …》2007年(ICCでの展示風景)
撮影:福永一夫



人生とは、バラバラの点を繋げること


高谷:場面が暗くなり、そこからゲームのように次のグリッドを組み立てる…というやり方なので、一つの大きな物語を創っているという訳ではないのですが、見る人によってはいくらでもお話をつくれると思います。全体を通したストーリーを考える人もいるし、短いお話が沢山並んでいる童話集みたいなものだと捉える人もいるし。だから、1回見ただけでは済まない、という人もいました。

畠中:先ほどのトークでも「物語」云々、という話が出ましたが、高谷さんの中でストーリー的な盛り上がりの構成を意識されますか?

高谷:僕の中ではあって、構成的な曲線のようなものは考えています。例えばピナ・バウシュの作品は、ストーリーというよりも細かな出来事の連なりと反復から全体が構成されていますよね。僕の作品も共通したところがあり、パフォーマーがキャラクターを役者として演じるのではなく、パフォーマー自身の出来ることや最良のポイントが並んでいくことで全体が構成されるなら、それが一番だと思っています。とはいっても、物語を否定したり、難しく考えているわけではないです。いわゆる”物語”で、自分が興味を引かれるものが極端に少ないから使わないだけで。

高木:世にある映画や小説は「物語」としてまとめようという意図があるものがほとんどだから、そういうものだと思い込んでいるけど、実は、人生そのものは「物語」ではないですよね。ひとつひとつの細かいイベントはあるし、そこに自分で「物語」をつくろうと思えばつくれる。でも、映画や小説に出て来るような「物語」って、人生の中では起こってないですよね。

高谷:そうですね。後になって人の話をまとめて「物語」にはできますけどね。


高木:例えば記憶のところどころを編集して繋がっているように思い込んだりも出来ますけど、実は合間に思い出せていない体験がたくさんあって、もっと複雑ですよね。必ずしも覚えている記憶がある結果を生み出した訳じゃなかったりしますから。

高谷:アインシュタインの自伝は「自伝というものには興味はない」から始まるんです。何故なら自伝は、現在から過去が一本に繋がっているようにしか書けない。本当は様々な選択肢があったのに。だから書くことに興味は無いけど、他の人に書かれるよりは、自分のことは自分が知っているから書く、というんですね。

畠中:ジム・ジャームッシュの映画「パーマネント・バケーション」の始まりでも、人生の出来事は点でしかない、点と点を結んで出来る絵みたいなものだ、という話がありました。要はそれをどう結ぶかによって、全然違ってしまう、と。

高谷:そうですね、一見バラバラな点を繋げて、鑑賞に耐えるものにするのが作品化ということかもしれません。バラバラの面白い点を、どうやってコンビネーションを組んでいくか?ということが僕の仕事です。制作メンバーと一緒にそれぞれの点を面白くしていくんです。


現象としての映像



高谷史郎(ダムタイプ)「明るい部屋」
撮影:Falk Wenzel


畠中:先日上演されたジャン・ミシェル・ブリュイエールの「たった一人の中庭」のように、「物語」がある一方で、無いように見ても面白いというものもありますよね。演出家が言うには、意味も内容もあるんですが、そういうものがなくても面白いんですよね。あの作品には人が居ないパートもありましたし、池田亮司さんも自分の作品を(無人の)映画にしたいと言っていた時期がありましたが、高谷さんの場合は演者を必要とするのでしょうか?

高谷:もし僕が音楽をつくっていたら、必要としないかもしれませんが、映像だけでは決して成り立たないと思います。映像だけで成り立つものというのは何でしょうね。

高木:映像をコンテンツとして捉える人は映像の中身を気にしますが、高谷さんは違いますよね。例えば映画監督であれば、あるフォーマット、フィルムや投影方法、映画館に合わせて作る。それがDVDになったり別のフォーマットになったとしても、内容が勝負というところがあって。僕もそういうタイプだと思いますが。でも、高谷さんが創られているのは、フォーマットそのものから準備されていて。適切な表現かわかりませんが「現象」をつくろうとされているのかなという印象を受けました。

高谷:うん、さっき言っていたように、上にスクリーンがあるから空を映そうとか、そこの必然性がもの凄く重要なのは、そういうことですね。なんらかの意味を込めてこのスクリーンに「火」を映さねばならない、という考え方は無いんです。

高木:感覚としては、建築をされていたのが大きいんやろうなあと思います。建物や構造があって、その中で人にどう使われるか、人がどう暮らすか、というところにあえて口出しする建築家、みたいな(笑)。

高谷:映像のオファーが来た時にまず言うのは、スクリーンに映すのも、モニターを並べるのも嫌だ、と(笑)。先にフレームがあって、その中に映すための映像をつくるということには全然興味が沸かないんです。オファーにもよりますけど。オペラ「LIFE」の時もまずそこからお話しして、スクリーンと舞台のセットが決まっているのなら僕は無理かもしれません、どういう所にどういう風にどういうソースを映すか、ということから一緒にできるなら、と言ったんです。

高木:そのお話を聞くと、高谷さんが舞台やインスタレーションを手掛けられているというのは、僕の中でとても辻褄が合いますね。最高の場所なんじゃないかと思います。コンテンツを作っているというよりも、場そのものを作っていく。「現象」を起こすなら生の方がいい、という。


頭の中にあるイメージを、時間というフレームの中に落とし込む




———高谷さんは、演出のために時間軸のグラフを作成されるそうですね。

高谷:舞台のパフォーマンスを創る場合、時間を割り振るのに膨大な時間がかかります。頭の中にあるイメージを、時間というフレームの中に落とし込むために、ここでこういうことが起こって、映像や照明はこういうことが起こって、ここで舞台セットが変わって——という演出を、延々とグラフィカルなグラフに書いていくんです。そうしないと、時間というものが頭の中で整理出来ないので。僕にとって、この作業は舞台のパフォーマンスを創るということとほぼイコールですね。皆に説明をするためと言いながら、自分の中での整理が目的なのかも。パフォーマーやダンサーは、感覚でわかっていたりしますからね。インスタレーションは映像をモノ的に扱うのでまとめやすいし、音楽には目に見える時間があるから楽なんですが。

———映像制作の絵コンテのようなものですかね。

高谷:一旦パフォーマンスが出来上がってしまえば、そんなものを見なくても進むので最終的には使わないんですけどね。坂本龍一さんと「マラルメ・プロジェクト」をやった時に面白かったのは、ニューヨークから坂本さんが来られて、このグラフを一読しただけで一瞬で理解されて、全部弾いていましたからね。やっぱり音楽の人は時間が組めるんだ、と思いましたね。僕には無理です、あんな一瞬で(笑)。

———高木さんは映像、音楽、両方の感覚がお分かりになるんでしょうか?

高木:いや―、どうですかね。僕の一番の関心ごとは、そこに居る人の反応ですね。それがないと、高谷さんが音楽がないと創れないのと一緒で、良いのか悪いのか判断するものがなくなってしまうんです。ライブにおいても、見せたいという欲望はそんなに無くて、ただ舞台上で自分に起こっている体験が相手(観客)にも起こればいいなと思ってやってます。自分の体験していること、したことが、作品を聞いたり見たりした人にも起こるように、きちんと整えていく。最近は、自分が特別な体験をした瞬間をきちんと残せるように気をつけてます。

———それはまた全く違うアプローチですね。

高木:僕は、基本的に、どんな音楽も全ていいと思うと同時に、全てくだらないと思っているので。全てくだらないと思うと同時に、全ていいなと思うんですよ。例えばトリックアートみたいなものを見る感覚に近くて。色んな見方があるから、見方次第ですよね。あと、舌に甘さを感じるポイントがあるのと一緒で、確実に音に反応するポイントやツボみたいなものもあると思っています。つまらないなと思っていても一度見方がわかれば、そこから先は楽しめる。


畠中:なるほど、感情移入というのは、経験則や誰かの実体験が乗り移るというようなことだと思うんですが、感情移入というレベルでなくても、スタンドが赤い色に変わった時に何かを感じる、ということはありますよね。高谷さんはそっちの方へ持っていきたいんじゃないかと思いました。そこに物語性がなくても、あるルールに則って人が動いている、それでどういうことが訴えられるか。今まで僕らは感情移入という部分で泣いたり笑ったりしていた訳ですけど、その根源的なところには違うものがあるはずだ、と。共感覚ということに近いのかもしれないですけれど。何かを見たら何かを感じる、ということはあると思います。

高木:多くの場合、コンテンツにひっぱられるけど、高谷さんはそこから極力遠いところにいようとしている。高谷さんとしか言いようがない空間を生み出されますが、僕が考えているよりもスケール感が大きいんでしょうね。それに比べたら僕なんかここで(体の範囲を縦に示して)やっているなと思います。

高谷:そんなことないです、テリトリー内でやっています(笑)。

———今日は面白いお話をありがとうございました。高谷さん、「明るい部屋」を観る方にメッセージがあればお願いします。

高谷:この作品は2008年にドイツで初演しました。僕がはじめて自分の名前でディレクションした作品で、今の創り方をはじめた最初の作品でもあります。今までやってきた舞台芸術とインスタレーションをどうやって70分ぐらいの作品にするか、ということを調整して、随所に映像的な仕掛けや舞台装置的、パフォーマンス的な仕掛けを仕込んだので、それぞれに面白いところを拾ってもらえると思います。沢山の方に見て頂けたら嬉しいです。


出演:高谷史郎(ダムタイプ),高木正勝
司会:畠中実(ICC),齋藤あきこ


編集:齋藤あきこ
取材・文章:齋藤あきこ、宮越裕生




プロフィール


高谷史郎
1963年生まれ.1984年アーティスト・グループ「ダムタイプ」の創設メンバーとして活動に参加.パフォーマンスやインスタレーションの創作に携わり,ヴィジュアルワークを総合的に担当. 個人としても映像インスタレーションを制作.1999年 坂本龍一オペラ《LIFE》の映像を担当.2001年 中谷芙二子とのコラボレーション作品《IRIS》をバレンシア・ビエンナーレ(スペイン)にて発表.2007年 坂本龍一とのインスタレーション《LIFE – fluid, invisible, inaudible …》を制作・発表.(山口情報芸術センター[YCAM], ICCに巡回).同年,気候変動について考える北極圏遠征プロジェクト「Cape Farewell」(イギリス)に参加.2010年 中谷芙二子とのインスタレーション《CLOUD FOREST》を制作・発表(YCAM).2012年 パフォーマンス《CHROMA》をびわ湖ホールにて初演など.現在,佐川美術館で「吉左衞門X 暗闇の音 静寂の光」展 (高谷史郎・音/ 映像 + 樂吉左衞門・茶碗)開催中.

高木正勝
1979年生まれ,京都府在住.自ら撮影した映像の加工やアニメーションによる映像制作と,長く親しんでいるピアノやコンピュータを使った音楽制作の両方を手掛けるアーティスト. 国内外のレーベルからのCDやDVDをリリース,美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど,分野に限定されない多様な活動を展開している.
デイヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーへの参加,UAやYUKIのミュージック・ヴィデオの演出や,芸術人類学研究所,理化学研究所,Audi,NOKIAとの共同制作など,コラボレーション作品も多数.映画『おおかみこどもの雨と雪』(監督:細田守)のサウンドトラックを手がける.



公演情報


新国立劇場開場15周年 新国立劇場2012/2013シーズン ダンス
DANCE PLATFORM [Bプログラム]
高谷史郎(ダムタイプ)「明るい部屋」


http://www.nntt.jac.go.jp/dance/20000629_dance.html

日時:2012年12月7日(金)午後7時より,8日(土)午後2時より/午後6時より,9日(日)午後3時より
会場:新国立劇場 小劇場
演出:高谷史郎
照明:大内聖子
音響:南 琢也,原 摩利彦
コンピュータ・プログラム:古舘 健
ビデオ技術:粟津一郎,山田晋平
舞台監督:尾﨑 聡
出演:薮内美佐子,平井優子,オリビエ・バルザリーニ,泊 博雅,前田英一
チケット料金(税込):A席5,250円/B席3,150円
新国立劇場ボックスオフィス 03-5352-9999


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