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東京都写真美術館 映像をめぐる冒険vol.4
「見えない世界のみつめ方 BEYOND THE NAKED EYE」展 関連企画

市川創太×小阪淳×鳴川肇 メール鼎談
『新しい世界像にむけて』

第6回:『非合理パワー?』小阪淳

December 16, 2011(Fri)

■鳴川さんからの質問を受けて

日本ではあまりメジャーではありませんが、科学哲学という学問があります。その学問における議題として「どこまでが科学なのか」というものがあります。鳴川さんのメールにも挙げていただいた対談シリーズで、科学哲学者の伊勢田哲治さんとお話しできる機会がありました。この議題もお話しいただき、結果としては「どこまでが科学なのかは白黒はっきりは付けられない」ということでした。科学というと「世界を白黒はっきりさせる」ことが目的の一つにような気もしますが、その科学そのものが実は白黒はっきりしないものです。だからといって科学の有効性が失われるわけではありませんし、科学そのものの魅力がそがれるわけでもありません。しかし私たちはそういった「科学」の実体に対して意外にも無頓着です。私たちは学校で「世界を論理的にとらえる訓練」をしてきたわけですが、その行為そのものの意味を問う訓練はしてこなかったわけです。「論理的に世界を捉える目」は効率よく生きる術として当然必要なものとされているからでしょう。鳴川さんの質問にあった「マイナスイオン」などの一見科学的なキーワードに、私も含め踊らされてしまうのは、「科学とは何か」といった視点の欠落が原因だと思います。


開 2010年
そしてその欠落は、実は「非合理なものに対する視線の欠落」と裏表の関係となっているのではないかと感じています。パワースポットや霊等、科学的な俎上に載せることはできませんが、「音楽は力を与えてくれる」という言葉を肯定するのと同様な意味で、わたしはそれらを肯定もしています。音楽が私たちを励ますように、「スポット」が「パワー」を与えても、何も不思議はないわけです。そこに何か特殊な力があるわけではなく、その場の環境と謂れ(の情報)によって、人に影響をあたえることは何も不思議はありません。鳴川さんも私も廃墟好きですが、あれこそまさしくパワースポットですね。面白いのは、私は廃墟をポジティブにとらえますが、一方で心霊スポットとして負の場所と捉える人もいます。まあそんなもんです。私は基本的に機械論的な世界観を持っていますが、音楽で癒されることがありますし、お守りが勇気づけてくれたり、亡くなった父や母が見守ってくれているとも感じることもあります。なぜなら、本来そこには矛盾などないからです。不思議なことなど何もありません。もし不思議だと感じても私たちが仕組みを知らないだけです。仕組みを知ることができて「なーんだ。全然不思議じゃないね」ってことになっても、私は音楽に癒され続け、お守りは全力を懸けてその役目を全うし、父や母は、うざいくらいに私に話しかけてくるでしょう。



発 2010年
合理か、非合理か、それは私たちが「知っている」か「知らないか」と一致しているわけではありません。知らない世界に本質的な「非合理」があるのかどうかはわかりません。何をもって「合理」とするのか。「合理」の定義も「科学」同様あいまいなものに感じられます。さらに、「合理」と「非合理」の関係の捉え方にも問題があると思います。「合理と非合理は相対する関係である」という捉え方そのものが合理的な解釈にすぎません。効率よく生きていくためには世界を合理的に捉える必要がありますが、「でたらめ」でいるための訓練も時には必要かもしれません。「でたらめ」でいることはとても難しいです。「天然でたらめ」ではいられない私たちは、とりあえず「でたらめでないこと」とは何かを考える必要あると思います。そういう観点からも「科学」とは何かを学ぶことは有効だと思います。合理な目で見つめるその先に、途方もなく「でたらめ」にしか見えない秩序が横たわっているのかもしれません。この世界そのものが今ここにあることも、大いなるでたらめの一つかもしれません。


■市川さんに対して持っているイメージ

はじめて市川さんに会ったのは芸大の建築科の新入生歓迎コンパだったと思います。かれこれ20年ほど前ということになりますね。新歓でベースを弾いていた記憶があるのですが、あっていますでしょうか。その後、卒業制作や、その後の早稲田の小さなギャラリーでの個展を拝見して、鳴川さんの活動とともに、一つの流れがここにあるのだなと感じておりましたが、このような展覧会で一つの節目が作られようとしているのはというのは縁としか言いようがないものを感じたりもします。市川さんは一見そのルックスと作品があまり一致していません。(失礼!)20年前に見た、ベースを弾いていた姿がしっくりきます。ストリート感もありますよね(って誰に同意を求めてる?)。でも市川さんの作品をじっくり読み込んでみると、芸術に必要な「破天荒」さが、強靭な理性の、さらに向こう側に見え隠れしているように思います。それは市川さんの風貌に潜む「野生」と通じているような気がしています。

■市川さんに対しての質問

そういうわけで、私の脳内カテゴリーで「野生派」に属している市川さんですが、ご自身の中の「野生」、あるいは人間の「野生」についてどういう風に感じておられますでしょうか。私から見ていると、市川さんの作品は「極めて理性的な手法の集積から、どうやって『野生』を紡ぎだすか」というチャレンジのような気がしているのです。そしてその結果として、dNAの作品は刺激的な牙と暖かい抱擁を併せ持つ魅力を醸しているのではないでしょうか。小さなポイントのシンプルな相互関係が全体として強い力を帯びたり、空間上に配された直線が美しいカーブを描くような「マジック」に惹かれるのは、それらが見る側の「野生」に訴えかけているからではないかと感じています。



小阪 淳(こさか じゅん、1966年生まれ )
1994年-2000年SFマガジン(早川書房)装画担当。2000年-2004年、2010年~現在 朝日新聞にビジュアル連載。2004年沖縄市ワンダーミュージアムに作品常設。国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクト(4D2U)に参画。2006年Sony Explora Science(北京)に4作品常設。文部科学省『一家に一枚宇宙図2007』制作に参加。 2007年カンヌ国際広告祭2007Cyber Lions銅賞受賞。 2010年東京書籍『宇宙に恋する10のレッスン』出版(共著)。美術、建築、グラフィック、ウェブなど横断的に活動している。
http://www.jun.com/

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