Que Houxo

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Exhibiton “FlourescentView”

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Exhibition at Hatosbar

こんにちは
なんだかいっきに寒くなってきましたね。
師走botさんが連呼していた時期に突入したわけですが
そんな中、展示会をしたいと思います。
お忙しいとは思いますが、是非お立ち寄りください。
以下、詳細です。

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wwwでの実家3Dへの感想と最近の雑感

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おんたまで見た時よりもずっとよくなっていたので
面と向かってディスった責任とゆうかその辺でなぜよかったかを書いてみよう。

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オカルト

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ここ数日、久しぶりの風邪を患って休んでいた。
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熱を出して寝ていると、自分の知覚自体があやふやなので色々なものを感じる。
たとえば、枕元に誰か立っている気配とかそうゆうもの。
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別にオカルティックなものを信仰しているわけではないけど
絵を描いている時もよく”気配”のようなものを感じることがある。
夜の暗闇の中で光る絵を書いているわけなのだから
そうゆうものを引き寄せたとしても不思議ではないし
いたとしても〆切のほうが圧倒的に怖いので気にせず制作をしている。
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ただ、芸術の起源自体が(最古の絵画である洞窟の中の壁画などは)魔術儀式のために用いられたものだから
そうゆう意味ではとても自然なことのようにも思う。
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そんなことを考えながら、そういった不可視領域自体が技術によって駆逐されていくほど
僕らの営みは起源回帰していくようにも思う。
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例えば、宇宙を観測しているうちに光学的に認識できない物質を発見して不可視領域に立ち会ってしまうような
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そうゆう意味では、技術によって殲滅されたオリジナルの価値はもう一度蘇生されるのではないか。
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そもそも死ぬことはなく、今もなおそれは残り続けている。
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最近ココ

触覚

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最近、作業とかプレゼンのためにiPadを買ったのでPC脇において作業していたりするのですが
このタブレットを操作してるときに直に触れてることがすごい気になった。
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そういえば、プラトンは視覚と触覚の間にヒエラルキーを作り、芸術とゆう概念を弁証していたなと頭によぎる。
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前のエントリーで複製とかについて触れたので、その辺をもう一回検証してみようかなーと思って
ベンヤミンを読みなおしている。
ここでも、視覚と触覚(厳密に言えば、この触覚はプラトンとはまた別の概念だけど)を論じている。
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で、さらにドルトムントでのアーティストトークで宇川さんが
視聴覚環境のテクノロジーの進化を経て過去の体系に戻りつつあると言っていたのを思い出す。
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曖昧につなぎ合わせると、デバイスの普及にともなって僕らの知覚も変質するのかなと思う。
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またベンヤミン的に言えば、知覚の変容とは社会自体の変容なのかもと思う。
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だとしたら僕が抱くこの引っ掛かりは、仮像に触れる(そしてそれ自体も真の意味での接触はなく仮想である)ことにあるんだろうか?
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でもちょっとちがうなー。なんかもっと拠り所自体がスライドしてきてる感じ。
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今ここ

光る像

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ps

大きめの液晶地デジテレビを買った直後、部屋の中でニュースキャスターと相棒が同じくらいの大きさで並んで見えた。このときに、その二つが全く違うものだって強く感じた。一番の違いは、キャスターが自ら発光しているところだった。


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センボーさんのブログから

この気づきってとても共感できます。
毎日のようにディスプレイを見ていますが
こんなにも当たり前に発光しているものを見ているのって
過去から見たらありえない現象なんでしょうね。
今作っている作品に共通している要素なので、
刺激をうけて少しだけ書いてみます。

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NYLON

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Kaela`s-Gallery

木村カエラちゃんとコラボしましたよっと。
今月のNYLON JAPANに載ってます。

今回はさくっと

Re:置き方(コンポジション)

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そんで、そのPARTYおんたまでは実家3Dという作品の新しいバージョンを演奏したんですが、ライブ終わってすぐにQue君が

「オブジェクトと音が合ってない感じがして微妙」

と批判してくれて。で、なんかそれが新鮮だったというか、ちょっと嬉しかったんですよね。薄々自分でも気づいてた所を的確に突いてきたって事と、そもそも褒める人はいても、作品の悪い点を指摘してくれる人って少ないから。批判の方がその姿勢に度胸というか責任持たなきゃいけないので必然的にその内容が論理的、具体的になりますよね。だからこう言ってくれる人は大事だなと。

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谷口さん二回のエントリーにわけて書いていた置き方について
言いだしっぺの僕なりに言及してみたいと思います。

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テクノロジーと絵画

Canvas in Monitor

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about flourescenece view

前回のエントリーからの続きです。
イメージそのものの価値に頼らず、物質としての意味を作品に求めた理由について
僕なりに言語化できる範囲で説明していきたいと思います。
たぶんちょっと長くなります。
ってゆうか、長くなった。

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flourescence view

flourescence view - flyer

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Exhibiton at Muji Shinjuku Tokyo

前のエントリーでポストしましたが、現在新宿の無印良品内のカフェスペースにて展示を行なってます。
以前に仮囲いの壁を描いたIDEEさんの企画のもとで新設されたギャラリースペースの壁に作品をインストールしたのは
(ギャラリーではない空間での展示なので装置や演出ができないため)キャンバスだけでの強度を設計した作品たちです。
今までの僕の作品はブラックライトとゆう装置のスペックが切り離せなかったのですが
それを組み込まない形で描いた作品は今回が初だと思います。
その辺の意気込みと意味合いを少しだけ・・・

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久しぶりきゅぅ~

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更新するのを忘れてたわけではない。
それだけは言っておこう。
だが、言い訳はしない。
それが男の生き方だと思う(迫真)

はい、すいません。
なにを書こうかと思って悩んでいたら忙殺されて忘れておりました\(^o^)/
実際、普段僕が考えていることをポストしたいなとは思っているんですが
いまいち自分の中でも言語化しずらいので、なんだか断片的な内容でもいいので再起動しようかな。みたいな。

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image

fluorescence view - study



最近は、画像と絵画、そしてテクノロジーについてその価値の拠り所みたいなことを考えています。
たとえば僕らの日常生活の中でモニターを見る機会とゆうのはほぼ毎日行われている。
それは、PCのディスプレイであり、テレビであり、携帯電話の液晶でもあったりするわけですが
そうゆうテクノロジーの恩恵を経たことで、実はとんでもない革命が起きていると僕は思っています。
その辺について言語化しつつ、最近の作品とこれからの展望も含めた解説を小出しにしていくつもりです。
現在構想中の作品のこともあり、僕自身の中で紡がれていく順序で断片的に書いていくので
かなり意味不明かとは思いますが、どうぞよろしく。

ちなみに、上の画像は新宿MUJIで現在展示してる作品の習作です。
これも上記のことと少なからず関係しているので、その辺を含めて次回は解説と告知をしたいと思います。


Houxo