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インターネットと寿司

今日もお寿司食べました。
ので、更新してます。
そもそもインターネットと寿司は関係あるのか?

関係ありません!

考えるのも馬鹿馬鹿しい話ですね。
誕生は屋台から始まり伝統食へ、そして世界で日本の代名詞的存在にまでなった寿司がインターネットと関係あるわけがない。
もしその全く接点のないものに結節点を作るとするならば、撮影しアップロードするという行為によってでしょう。
それについては前回のポストでも書きましたが、本来食べ物の写真などは日常生活の断片の中でも消えていくもので
ここまでデジタルカメラの普及とさらにはモバイル通信技術の向上がなければ決して公共空間に晒されるような存在ではありませんでした。
(なんでも撮影するな!)
そういった現実の一部は、現代ではもはや必要以上に露出されていると僕は考えています。
と同時にそのことによって人の網膜のみに記録されていたイメージがピクセル化されてどこぞのサーバーに保存されています。
これはデジタルフォトグラフィ全般に言えることですが、デジタルに比べたら無限にも近い量の情報を含んだ対象から発せられる光をマッピングされたピクセルという記号に置き換えています。
というか、画像化する事自体が非常に現実を希釈していると言えるでしょう。
(三次元の寿司が二次元の寿司になるのだから)

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そういった事を踏まえてこの寿司をめぐる画像のスタックを説明しようとすると、それは現実の記号化にすぎません。
ただそれは確かにこの現実に存在していたし、僕によって食べられて肉体を維持するエネルギーとなっています。
記録とも言えるし、よりセンチメンタルな言い方をすれば、もはやこの世にない像とも言えます。
食事のログというのはインターネット上にアップロードするとそういった不在性を帯びているので非常に無為な情報となります。
しかし重要なのはそれが僕の肉体の糧になったという事実です。
僕は画家で、その絵は僕の肉体によって生産されます。
つまり、僕の描く絵の何%かは寿司でできているとも言えます。

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ひどい飛躍(さらにひどい説明図)ではありますが、
どこぞの海で泳いでいた魚が漁師に捕まったところから職人の手で握られ、僕の前に運ばれて来た後に起きていることはこうだと僕は確信しています。
で、そのインターネットお寿司プローラーはなんなの?ってところですが
思いの外長くなってしまったので次回のポストで説明しつつ、ヤミ市での出店内容に触れていきたいと思います。


HouxoQue