SS 05/09

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栗田くんがブログ閉鎖するとか言ってるので
作品も完成したことだし、最近頭の中でこねくり回してたことを
話せる範囲で書いてみようと思います。



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ArtKyoto2012




ここでも告知しておりましたが、先月の29日まで京都にて開催されるアートフェア ArtKyoto2012にて
印刷会社グラフィックと共同で制作した作品をブースにて展示していました。

作品は大きくわけて二種類。
アクリルとLEDで構成された立体作品と、キャンバスをベースにしたミクストメディア作品。
どちらもジークレー印刷を利用しており、その高精細な印刷を生かした作品です。
ただ、高精細だからすごいとゆうところで落ち着きたくはなかったとゆうのも本音で
その辺の経緯と思案の動線を明らかにしてみたいと思います。

昨年もアートフェアに作品を共同で出展したのですが
それは壁画作品の写真を印刷してアクリルマウントした作品で、それはそれでとても完成度の高いものでした。
でも、今回は僕の作品を二次物として複製して本物みたいでおもしろいでしょ?みたいなのはやりたくなかったので
思いつく限りの無茶をオーダーしてみた。
たとえば、印刷自体を積層して立体物にできないか? といった
通常、平面物を扱う印刷会社では難しそうなことをあえてぶつけてみるような内容です。

これは決して悪意から言ってるのではなく技術との結びつきが生まれる上で
一つ、とても重要なテーマが僕側にあったからなのです。
それは、身体性の拡張です。
どんなに印刷としての複製が高度であってもやはりオリジナルと並列されてしまえば、
肉筆として絵の具が置かれた必然や質量に対してはインクの定着では圧力で負けてしまうわけだし
技術自体に作品の持つ様式を依存させては意味がないと僕は考えているので
ただ、技術があってこそ可能になることがあるのだとしたら
僕らの肉体的な限界自体(たとえば同じ絵を完璧に何枚も書き続けるのは不可能ではないが難問である)を
複製がその意味において拡張する瞬間にあるだろうと考えているからです。

アクリルの立体作品は(グラフィック側にも制作ドキュメントを作ってもらいましたが)わかりやすく説明すれば
一枚の絵を絵描く工程のワンタッチ全てを、写真にて記録してもらい、それを時間順に印刷・積層していったものです。
作品が完成するまでの間、画面に顕現する表情の一枚一枚は観客の目に触れることはないのはもちろんですが
なによりもそれは完成した作品に片鱗こそ示していても作家自身も再び辿り着くことはできない領域です。
そういった肉体の呪縛があるからこそ繋ぎ止められなかったものを作品として定着させることができたのは
やはり技術によって拡張された領域があるからではないでしょうか。

書いてて遇にも”僕と君とインターネット 5/9回”での内容にちょっと近くなってきたなとも思いましたが
まぁ、あくまで作品の制作話なので作品の内容についてはこのポストでは多くは語らないでおこうとも思います。
(語り手を信用するな、作品を信用しろ)

とゆうわけで、次回はミクストメディア作品のことでも書いてみようと思います。
たぶんそっちのほうでもうちょい突っ込んだ話ができるんじゃないかな。

Houxo