_
最近、作業とかプレゼンのためにiPadを買ったのでPC脇において作業していたりするのですが
このタブレットを操作してるときに直に触れてることがすごい気になった。
_
そういえば、プラトンは視覚と触覚の間にヒエラルキーを作り、芸術とゆう概念を弁証していたなと頭によぎる。
_
前のエントリーで複製とかについて触れたので、その辺をもう一回検証してみようかなーと思って
ベンヤミンを読みなおしている。
ここでも、視覚と触覚(厳密に言えば、この触覚はプラトンとはまた別の概念だけど)を論じている。
_
で、さらにドルトムントでのアーティストトークで宇川さんが
視聴覚環境のテクノロジーの進化を経て過去の体系に戻りつつあると言っていたのを思い出す。
_
曖昧につなぎ合わせると、デバイスの普及にともなって僕らの知覚も変質するのかなと思う。
_
またベンヤミン的に言えば、知覚の変容とは社会自体の変容なのかもと思う。
_
だとしたら僕が抱くこの引っ掛かりは、仮像に触れる(そしてそれ自体も真の意味での接触はなく仮想である)ことにあるんだろうか?
_
でもちょっとちがうなー。なんかもっと拠り所自体がスライドしてきてる感じ。
_
今ここ