春。ブログのタイトル変えてみました。

どこの誰よりも可愛い(事実として)息子が小学五年生になりました。息子偉い。本当偉い。良くここまで頑張った。まじであの子は頑張った。でも五年生ともなると恐らくあれがやってくる。ちん毛と声変わりだ。あぁ憂鬱。すっかり大人になってしまう。これは親にとってひとつの試練ではないのか。つるつるの声ふわふわのちんこが、がらがらの声もしゃもしゃのちんこになってしまう。ちん毛はまだ良い。別に息子のちんこなんて滅多に眺めるもんじゃないから。声変わりがやばい。今聴けるこの声はもう消えてしまうと思うと声という声を録音しておきたくなる。いやいや耐えよう。受け止めよう。認めよう。ここは親として頑張りどころだ!

今朝息子と喧嘩しちゃったんです。なにも珍しいことはない。いつものことだし落ち着いてみると大抵僕が悪かったりする。反省しつつごめんというと、もうすっかり人同士でちゃんと対峙しているような手応えがあって嬉しくもなる。育て始めた2歳から今までを振り返るとその成長っぷりは半端ない。

ところで、発達障害、ADDやADHDといった言葉は近年広く知られるようになってます。環境によってそういう子供が増えているとも、昔からいたけれどそれに名前をあてただけだとも言われてて、まー実際はどうだかわかんないけど、人間は分かっていかないと気がすまないが故そうした子供の性質に対しても分類していくだろうし、こんだけ生まれて死んでを繰り返してる中環境の影響で遺伝子的になにか起きていてもおかしくないななんて思います。今回はそんな、育児に関する話題。

街中で子供が泣き喚いて困っている母親をみかけます。延々と叱ってる母親もみる。でもたまに泣き喚くというレベルを超えてパニックを起こしてる子供がいるでしょ。3歳前後の泣くのが当たり前の年頃であってもその泣き方は明らかに違う。それがパニックだということを親が理解してるか否かは、眺めてるとなんとなくわかる。

パニック。はたから見れば泣き喚き暴れてもうぐっちゃぐちゃになってる状態のことです。パニックに限らず子供が泣く時は「本人がどうしたら良いかわからなくて困っている時」なのだけど(なにしろ明確に言葉に出来ないのだから)それの超パワーアップ版。そこまで至るには一定のパターンがあって例えば本人のこだわりから始まる。ある位置に置かれるべき物(本人にとって)がちょっとずれてるといった本当に些細な事柄なんだけど、それをきっかけにヒートアップしていきパニック! きっかけは日常のあらゆる場所にあるから、一日のうちに何回もパニックを起こすことなんてざらにある。

そういった子は睡眠の質も良くない。興奮状態を繰り返してるので寝付くのは夜中、起きるのは早朝だったりする。子供はその睡眠不足がまた不快で日中パニックになりやすいという悪循環に陥るし、当然親もそれに付き合うことになる。パニックになりやすい子供とその親は膨大な時間をそのパニック症状に奪われてしまうから、本人は勿論のこと親も精神的肉体的にまいっちゃう。

一般の育ち方とは少し違ってるかもしれない子をもつ親は、保健所や医療機関にその症状を気付いてもらうことで、ふっと気が楽になって前向きに取り組めたりするんです。近隣から虐待をしてると思われてる場合だって、そうした症状だと認識されてはじめて堂々と誤解を振り払えるようになる。でもそれは幸いな例で、なんでうちの子はこんなに大変なのか…とわけもわからず疲弊してる親も少なくないんだろうなぁと思う。

さてさて、そんな子供は大抵超繊細だったりして、例えば、耳に入ってくる音量がでかいとしたら?というような考え方で接してみると理解しやすい。口の中に入ったものの感触がすごい異物感がある、とか、言葉がものすごい重い、とかね。そうした視点をもつことで、親としては多少楽になる…といってもパニックは起きちゃう。起きちゃったらそれを止めさせようなどと思わずに、1時間は止まないだろうなーとある程度覚悟して諦めちゃった方が気が楽になるんです。勿論火に油を注ぐようなことはしない、つまり、なにも言わない。出来れば抱っこして、そうして場所を変える(ここ大事)。子守唄的なことも有効かも。その積み重ねが子供からしたら収束することへの暗示になるかもしれない。…と、こんなことはその手の本にいくらでも書いてある。

色んな人の意見や本を読んできたけど、中でも印象に残ってるのが「読んで学べるADHDのペアレントトレーニング」という本。シンシア・ウィッタムという人が書いてて、実は原題にはADHDなんて言葉は付いてないけれど、対処におわれてどうしても疎かになってしまう「褒める」ことの重要さ、それを容易にしてくれる仕組みがとても明快に書かれてる。その明快さ故に不愉快に感じる人もいるかもしれない。実際、やり過ぎじゃね?なんて箇所もあるけど、都合の良いところだけ掻い摘めば良い。

この本には、僕がこれを知らなかったら今は無かったろうなということが書いてある。それが「注目」と「無視」。子供のなにを注目して、子供のなにを注目しないのか。(子供からすれば)親は自分のどこを見てくれて、自分のどこを見ていないのか。つまり、望ましい行動への肯定的な注目と、望ましい行動が生じるまで待つこと(無視)によって、子供と親の関係性に変化をもたらそう、ということなんです。望ましい行動っていうのは、本当に些細なこと。例えば、ご飯食べてたらそれに注目する。自分で洋服を着ようとしてたらそれに注目する。親は、子供にとってかなり特別なことをしない限り注目しなかったりするけれど、問題のない、いつもどおりうまくやってるなというような事に対してもちゃんと注目してあげることで、変わっていくと。

注目と無視。これ、育児だけじゃなくて、自分自身、自分と世界の関係においてもすごく大事なことだと思う。

ということで、唐突だったけど忘れないうちに書いておきましたからね。近況としてはホームページをリニューアルしました。あと、春から多摩美統合デザイン学科の非常勤講師を致します。ではまたごきげんよう。

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