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今は本当に気が向いたときじゃないとブログ記事なんて書かない。
昔、といっても6年前くらいだけど、もうちょっと気軽に短い文章を記事にして、頻繁に更新していた。
PCを掃除していたら、懐かしい記事を見つけてしまった。



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さっき無事生まれました。男。かわいそうになるほど私に酷似している。父親になっちまった。陣痛は本当に大変だ。嫁さんには、ありがとうとしか言い様がない。
どう考えても私に凄い影響を与えるであろう男が、突如登場したわけですよ。此奴がどうなろうが、何をしようが、どうあがいても私は此奴の影響下から逃れられない。この男が私にこれから一体何を入力していくのか、私は何を出力する事になるのか。自分大好きなので一人称でしか書けないけれど、面白すぎて気持ち悪くなって吐きそうだ。
スターウォーズコレクターを母に持ち、ポッドキャストおじさんを祖父に持つことになったこの男ですが、誠実な人になってくれればなんでも良いです。親父は君を人間界に歓迎します。

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2007年2月のブログ記事。6年前の記事である。要するに息子が生まれた日の記事なのだけど、普通に感慨深い。
仕事で言ったら、「BIG SHADOW」をやった直後だ。なつかしい。
出産時、私は陣痛室で北方謙三の「水滸伝」を読んでいて、とても嫁の顰蹙を買った。嫁のお腹をさすっていたら、さすり方が悪かったのか怒られてしまったし、長丁場になりそうだったので、読書でもするか、という感じだった。
ちょうどその「水滸伝」で登場人物の晁蓋が命を落としたタイミングで破水して息子が出てきたので、この子は晁蓋の生まれ変わりだろうとか勝手に思ったものだ。
晁蓋のような義侠心あふれる好漢になるかどうかはわからないが、6年経って、本当に上記の記事の内容をそれなりに投影した人間に育ちつつあって面白い。

うちの嫁は、某精神病院で看護師をやっている。見たことはないが、いつも明るい笑顔を絶やさず、患者さんをしっかりお世話している素敵な看護師さんであるはずだ。
が、裏の顔はスターウォーズコレクターである。自宅にはファン垂涎のR2D2プロジェクタが置いてあるし、等身大ヨーダもいる。100万円以上する等身大C-3POをヤフオクで落札しようとしていたのを止めたことだってある。
ライトセーバーのレプリカはもちろん、ペプシのボトルキャップは全部揃っている。

その影響が息子を直撃した。上記の記事から6年後、息子は毎週末スターウォーズのいずれかのエピソードをフルで飽きずに繰り返し鑑賞し、挙句の果てに英語版で見たがったりし始め、劇中のとてもマイナーなシーンのBGMをところ構わず歌い、グリーヴァス将軍のモノマネをし、サンタさんにライトセーバーのレプリカをお願いするほどのハードコアなスターウォーズ6歳児に成長した。
先日本屋に連れて行った時には、ちょっと目を話した隙に書籍検索機で覚えたばかりの平仮名を駆使して「すたおうづ」と検索しようとしていた。
さらに彼は「スターウォーズ・エピソード7は自分がつくる」と宣言していた(制作発表されてしまったけど)。

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もちろん、父親である私の影響も受けている。
どこで覚えたのかわからないが、いきなり、「テクニカルディレクターになりたいんだよね」などと言い出す。

その一方で、上記の2007年の記事通り、私は6年、この少年の影響を受けながら生きてきた。この子のために随分といろいろな活動をしたし、喧嘩もした。母親が留守にして二人になると、突然檜原村に連れて行ったり湯沢に雪を見せに行ったり、いろんなところに行った。比較的おとなしいので、仕事にも巻き込んだ(言い訳するけれども、契約を気にする必要がないし、使い勝手が良いのだ)。3歳にしてマックカードになったり(真ん中)、先日も父親が作ったアプリの紹介ビデオで充電プラグを挿している(0:51あたり)。

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記事に書いてあるとおり、私は彼に入力され、出力し、影響下にいる。

qubibiさんが、子どもの絵のことを書かれていらっしゃったので、同じディレクトリにブログを置かせていただいている中、似たような感じになってしまってすみません。最後の方で、「6才くらいの年の子って誰しも神がかっているんですよね」なんて書かれていらっしゃるのだけど、ちょうどうちの息子も6歳になった。

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彼の絵は、別に神がかっているわけでもないのだけど、先日、6歳の誕生日を前にして、初めて私を含む両親に「お手紙」をくれた。
ありがたい。ようやくうちの息子もこんな殊勝な言葉をかけてくれるようになったのか。嫁が私のことを「カンタさん」と呼ぶ関係で、私は息子に「パパ」とか「お父さん」とか呼ばれたことが全くない。ずっと「カンタさん」だ。
おまけに、両親と自分のイラストが入っている。息子が私の絵を描いてくれたのは初めてだ。

faces

・・・。
確かに私の頭部はサバンナ状ではあるが、息子の目に私の姿はこんな感じに映っているらしい。

というわけで、息子の誕生日でもあるし、折角なので、お礼にこれを使って何かつくってプレゼントしてみよう、と考えた。



2日くらいしかなかったので、超適当なのだが、LINE POPとかパズドラにあるような、微妙な触り心地の一端に触れてみたかったので、スワイプで遊べるモグラたたきiPadアプリをつくってみた。「Qantouch」。
openFrameworksで実装したけど、あんまりゲームには向いてない感じがした。
父親である私を排除していくことで、だんだんレベルが上がってスピードアップして難しくなっていく。別に、父親を超えるとレベルアップする、とかそういうような設定があるわけでもなくて、なんとなくそうなった。
父親を落とし損ねると、右下の息子の自画像アイコンが減っていってなくなるとゲームオーバー、という他愛も無いものだ。
ゲーム中の効果音は、自分の声を録音していろいろ加工した。
ゲームオーバーの音だけ、生声で「ギャアアーーーー」という父親(私)の断末魔っぽいのをそのまま入れた。

qtouch_pad

こういう商売だし、なかなか息子が起きている時間に帰宅することもできないので、これでたまに遊んでもらって、父親のことを思い出してもらえると良いなあ、なんて思ってつくった。

アプリでもゲームでも何でも良いのだけど、そういう、ユーザーといじりいじられな関係をつくるものは、昔から言われていることで、「いかに、触ってくれる人におもてなしするか」とかだったりするので、たまに、こんな感じに、否応なしに「愛」が入らざるを得ない対象に向けて何かつくったりすると、初心に戻れて良かったりする。
時間なくてそんなに詰められなかったけど、落ちるときの回転の仕方の幅とか、一番かわいくて喜ばれそうな乱数はどのへんだろうとか、没入して調整する感じ。
とはいえ、そこそこなところで切り上げてこんなところで発表しているのがお恥ずかしいのだけど。

普段、クリエイティブディレクターとかテクニカルディレクターなんて言って、言語化と説明に立脚した立場で仕事をしていると、わりとこういう大事な感じを忘れてしまう。
言語化したり資料にしたりというのは、人が人を媒介して何かを伝えていくために必要な手段だけど、そこから削れ落ちる米糠みたいな部分に神様は住んでいるんだよなあ、なんて、再確認する。
「愛」なんていうものは、たぶん一番重要なのに、一番言語化できないものなのだ。