マヘルさん準備中
先週の土曜日、飴屋さんとマヘルの工藤さんの舞台を見に行った。
わたしは普段まったく演劇を見ないので、演劇を見るのはチェルフィッチュの
「現在地」以来二回目。会場の東京文化会館は前川國男設計による、
重厚でクラシカルなザ・文化的な施設。

飴屋さんとマヘルの共演は飴屋さんが熱望していたそうだ。
マヘルは昔からたまに見ていて、スーパーデラックスで工藤礼子さんが歌った
時はほんとにすごかったのを覚えている。

今回の劇の印象は「すごく隙間が多い演目」というもので、ステージの上で
常に見るべきことが起こっているということでもなく、なんとなく
手持ち無沙汰の時間がちょくちょくあったりした。
「大勢で一緒に座って同じ方向を向いて暇な時間を共有する」
というのは大変奇妙なものだった。
普通の演劇や映画のような体験とは違う。

劇中にも「時間の概念にはふたつあって、ひとつは過去から未来に
まっすぐ流れる大きなもの、もうひとつは日々のサイクルで小さくまわるもの、
しあわせはちいさくまわるところにある」みたいな言及があったけど、
そのちいさくまわる時間の流れを劇場にいる人みんなと共有したみたいな感じだった。
劇中にはそういう時間とか、主食とか、前の週の鼎談の会話で何気なく出てきた
要素がちょくちょく出てきてすごくびっくりした。

わたしはその上演中、なんでかわかんないけど、劇を見ている間ずっと
「私はこの先あんまり長く生きられないんだろうな」とぼんやり考えていた。
その「あんまり長く」が1年なのか10年なのか50年なのかはわからないけど、
最近左半身にしびれが出ることがあって、なんかもういよいよだめだと
思ったりするからかもしれないし、演目の構造がそういう内省をさせるように
できていたのかもしれない。

普通の映画とかを見てそういう考えを起こされることはないので、
いろいろ狐につままれるようなところもあったけど、
見る人になにかを働きかけてくる演目というのは
スゴイものだなと思いました。